タイ政府が2024年7月15日に導入した60日間のビザなし滞在制度が、わずか1年で30日間への短縮を検討されている。当初は観光収入拡大と経済活性化を狙った政策だったが、違法ビジネスの横行と治安悪化により、観光業界から強い見直し要求が出ている状況だ。
政策導入の経緯と当初の期待
タイ政府は2024年5月28日の閣議で、観光促進と経済刺激を目的とした包括的なビザ改革を承認した。その核心が、従来30日間だったビザなし滞在期間の60日間への延長だった。対象国・地域も57から93へと大幅に拡大され、日本も含まれている。
政府は年間3,500万人から4,000万人の外国人観光客誘致を目標に掲げ、最大1兆バーツの観光収入を見込んでいた。デジタルノマドやリモートワーカーによる年間2,100億バーツの経済効果も期待された。
この政策は22年ぶりとなる大規模な見直しで、パンデミック後の経済回復を加速させる切り札として位置づけられていた。同時に導入されたデスティネーション・タイランド・ビザ(DTV)とともに、あらゆる層の外国人材を惹きつける野心的な戦略だった。
深刻化する副作用と社会問題
しかし、政策の実行段階で予想外の問題が噴出した。最も深刻なのは、プーケットやパタヤなどの主要観光地における違法ビジネスの急増だ。
外国人、特にロシア人や中国人がタイ人の名義を利用して、タクシー、美容院、ツアーガイドなどの違法事業を運営する事例が相次いだ。これらは現地のタイ人事業者と直接競合し、地域社会に深刻な不満と反発を引き起こしている。
不動産市場では予想以上の活況が生まれた。プーケットでは外国人投資家による不動産取得が加速し、2024年にはコンドミニアムとヴィラの販売が記録的水準に達した。一部地域では不動産価格が15~20%も上昇し、市場価値が倍増する現象も見られた。
この「プーケット・パラドックス」とも言える状況では、経済的恩恵と社会的軋轢が同時進行している。外国人資本の流入による空前の不動産ブームがある一方で、違法ビジネスや物価高騰による深刻な社会的反発も生まれた。
業界からの強い反対と政府の対応
タイホテル協会(THA)とタイ旅行代理店協会(ATTA)は、この政策に対して統一的な反対意見を表明した。彼らの主張は明確だ。
正当な観光客の平均滞在日数は、長距離路線からでも14~21日、近距離からは約7日で、大半の観光客は60日間も滞在しない。つまり、この延長措置は観光以外の目的を持つ人々に主に利益をもたらしているというものだ。
さらに、違法就労、無許可のツアーガイド、正規のホテル事業者を脅かす無許可の短期賃貸(違法民泊)を助長しているとして、滞在期間を30日間に短縮するよう政府に公式提案した。
政府もこれらの懸念を無視できなかった。観光・スポーツ大臣は、関係省庁が原則として滞在期間の短縮に合意したことを認めている。この計画的な政策の後退は、観光振興と国家の安全保障および経済秩序のバランスを取るための必要な措置として位置づけられている。
デジタルノマドビザの実行上の問題
同時に導入されたDTVも深刻な問題に直面している。最も致命的なのは、DTV保持者がタイ国内で銀行口座を開設できない問題だ。
タイの銀行は、厳格な顧客確認および資金洗浄対策規制を遵守するため、DTVを「観光ビザ」の一種とみなし、口座開設の対象外としている。これにより、長期滞在を予定するリモートワーカーでも家賃の支払いや日常的な決済が困難になっている。
さらに、各地方の入国管理局でのDTVに関する対応も一貫していない。多くの職員がDTVの規則に不慣れで、非公式な追加要件を要求するケースもある。その結果、DTV保持者は費用と時間のかかる「ボーダーバウンス」を余儀なくされている。
DTVビザの詳細な問題については、「タイのDTVビザ導入から1年で35,000件の申請を突破も、約束された180日間の国内延長が機能せず「ビザラン」を強要される実態が明らかに」で詳しく解説している。
日本人渡航者への影響
日本は60日間のビザなし滞在が許可される93カ国の一つで、観光目的の渡航者はこの恩恵を受けることができる。ただし、2025年5月1日以降はタイデジタル到着カード(TDAC)の事前オンライン登録が義務化される。
TDACの詳細な登録方法と注意点については、「2025年5月からタイ入国時にTDAC(デジタル到着カード)登録が義務化。従来の紙カードから完全移行し、日系企業の出張管理に大きな影響」で詳しく解説している。
また、2026年12月31日までの時限措置として、30日以内の短期商用目的であれば別途ビザなしで入国できる制度も併存している。これらの基本的な枠組みは、今回の政策見直しでも維持される見込みだ。
今後の展望と企業への影響
BKK IT Newsは、60日間から30日間への回帰が最も現実的なシナリオと分析している。政策の「揺り戻し」は、野心的な経済目標と規制執行能力の限界との間に存在する深刻な乖離を露呈した結果だ。
この一連の出来事は、タイの政策環境が急激な変化に晒される可能性があることを示している。観光関連セクター、特に不動産への投資では、政策の変動性を重大なリスク要因として考慮すべきだ。
ビジネス渡航者は、ビザの抜け道を利用する者と区別されるよう、常に細心の注意を払って渡航目的を証明する書類を準備する必要がある。DTVについても、実行上の問題が解決されるまで極めて慎重に検討すべきビザと言える。
今後はTDACの完全実施や、将来的な電子渡航認証(ETA)システムの導入が、アクセスの容易さと安全保障スクリーニングの強化とのバランスを取る主要なツールとなるだろう。広範な自由化から一歩後退し、より管理された、テクノロジー主導のモデルへの移行が予想される。
この60日間ビザ政策の短いライフサイクルは、即効性のある経済的成果を優先する統治モデルの弱点を露呈している。将来のビザ改革では、入国管理局、治安機関、金融規制当局が施行前に完全に連携する「政府一体」のアプローチが不可欠となる。
参考記事リンク
- Visa Exemption (60 Days) – タイ外務省
- Thailand aims to reduce visa-free stay period from 60 days to 30 days to curb illegal activities
- 231 arrests in Phuket in crackdown on foreigners using Thai nominees – Nation Thailand
- Thailand’s Digital Nomad Visa Surpasses 35,000 Applicants in Its First Year – IMI Daily
- Thailand Digital Arrival Card (TDAC) – タイ領事館