タイで評価額10億ドル超の未上場企業「ユニコーン」がほとんど生まれていない。シンガポールやインドネシアが複数のユニコーンを輩出する中、タイのスタートアップエコシステムには明確な構造的課題が存在する。
成功モデルの呪縛が新産業を阻む
タイ経済は過去30年間、製造業FDI誘致による輸出主導型成長で大きな成功を収めた。しかしこの「タイランド3.0」の成功体験が、イノベーション主導の「タイランド4.0」への転換を阻む要因となっている。
製造業中心の成功により、経済の主導権は少数の財閥系コングロマリットが握る構造が確立された。現在もCP・チャロン・サイアムセメントといった大手財閥が経済を支配している。この構造により、新規参入する技術系スタートアップは極めて高い競争障壁に直面する。
国内資本市場も大企業傘下のコーポレート・ベンチャーキャピタル(CVC)が支配的だ。CVCは財務的リターンより親会社との戦略的シナジーを重視する。そのため親会社の既存事業と競合する可能性がある破壊的イノベーションは資金調達段階で敬遠される。
4つの成長ボトルネックが阻む発展
第一の課題は「資本の難問」だ。政府支援はシードステージに集中し、企業成長に必要なシリーズA以降の資金供給が不足している。多くのスタートアップが「死の谷」で成長が停滞し、ゾンビ状態に陥る。
第二に「エコシステムの構造的断層」がある。優秀な人材は安定した大企業に流出し、スタートアップは深刻な人材不足に悩む。IPOやM&Aといった成功事例も乏しく、VC投資を促す好循環が形成されていない。
第三の「国家介入のダブル・エッジ・ソード」も深刻だ。BOIの手厚い税制優遇がある一方、外国人事業法の厳格な外資規制や複雑な会社設立手続きがスタートアップの機動性を損なう。結果として豊富なリソースを持つ大企業のみが恩恵を受ける構造となっている。
第四の「市場の見えざる壁」では、保守的な消費者・企業文化が新サービスの市場浸透を困難にしている。国内市場で成功しても地域展開のビジョンと能力が不足し、グローバル・スケールに達しない。
タイランド4.0戦略との矛盾が浮き彫りに
政府はタイランド4.0でイノベーション経済への転換を掲げるが、現実のエコシステムは正反対の状況だ。タイの研究開発支出はGDP比でシンガポールなど地域リーダーに劣後している。
タイ・日本 投資連携が新段階に ~BOI・JETRO会談で見えた戦略的パートナーシップの深化~でも示されたように、日本とのパートナーシップは進展している。しかし海外からの技術移転に依存する構造から脱却し、自国発の基盤技術を育む土壌の整備が急務となっている。
今後の展開と企業への示唆
BKK IT Newsとしては、この構造的課題の解決には10年以上の長期的取り組みが必要と見ている。当面はシンガポールやベトナムがASEANのユニコーン創出をリードする状況が続く可能性が高い。
企業にとって重要なのは、タイのスタートアップエコシステムの限界を理解した上での戦略策定だ。破壊的イノベーションへの投資なら域外への展開も視野に入れるべきだろう。また政府のボトルネック解消策の進展を注視し、エコシステム成熟のタイミングを見極めることが重要となる。
タイ市場での技術革新は、既存プレイヤーとの協調アプローチの方が現実的な選択肢かもしれない。財閥系企業のデジタル変革支援や、規制に適合した段階的イノベーションが、当面の現実的な戦略と言えるだろう。