タイがOpenAI Soraの公式ローンチ国に ~AI動画生成アプリのアジア初展開が示す戦略的意義~

OpenAI Soraがタイで招待コード不要に ~アジア太平洋初の公式ローンチで広がる機会と課題~ AI
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2025年10月30日、OpenAIはAI動画生成アプリ「Sora」をタイ市場で正式に提供開始した。タイはベトナム、台湾と並び、アジア太平洋地域における最初の公式ローンチ国の一つとなった。北米での先行展開に続くこの動きは、OpenAIのビジネスモデル転換とタイの国家AI戦略が交差した結果である。

Soraアプリのタイ展開概要

OpenAIのCEOサム・アルトマン氏は公式X(旧Twitter)アカウントで、タイ、台湾、ベトナムの3市場でSoraアプリの提供を開始したと発表した。アルトマン氏自身がCameo機能を使用し、タイの屋台のシーンに登場してタイ語で挨拶するデモンストレーション動画を公開し、タイ市場へのコミットメントを示した。

今回の提供開始で最も注目すべき点は、招待コード不要で一般公開された点だ。タイのiOSユーザーは誰でもApple App Storeからアプリをダウンロードし、既存のChatGPTアカウントでログインするだけで、Soraのビデオ生成機能を利用開始できる。ただし、ユーザーベースの急増やGPU計算リソースの逼迫が発生した場合には、招待コードシステムを再導入する可能性があるとOpenAIは言及している。

Sora 2の新機能とプラットフォーム戦略

タイでローンチされたSoraアプリは、2025年9月30日に研究論文が発表された改良版モデル「Sora 2」を基盤としている。初期モデルと比較して、Sora 2はより高速な処理が可能であり、物理法則やオブジェクトの永続性に関する理解が向上し、より現実的な動画を生成できる。

以前の記事「OpenAI、Sora 2とソーシャルアプリ公開 ~動画生成AIで Google Veo 3に挑戦」で詳しく解説したように、Sora 2は音声同期機能と物理シミュレーション性能の向上により、動画制作のワークフローを大幅に簡素化する。今回のタイでのローンチは、その発表から約1か月後の本格的な市場展開となる。

Soraアプリの機能設計は、単なるビデオ生成ツールではなく、ユーザー間のインタラクションを促すソーシャルプラットフォームとしての側面を強く意識している。Cameo機能では、ユーザーが自身の短い動画と音声を一度だけ登録することで、自身のデジタルアイデンティティを作成できる。ユーザーはテキストプロンプトを通じて、このAI化された自身を生成するビデオにキャラクターとして登場させることができる。

Remix機能は、他のクリエイターが共有を許可した作品をベースとして、キャラクターを入れ替えたり、シーンを追加・拡張したりして、新たなバリエーションの作品を創り出せる。アプリ内には、TikTokやInstagram Reelsのように、コミュニティで作成・共有された動画を発見し、閲覧するためのソーシャルフィードも備わっている。

タイ語のネイティブサポートも重要なポイントだ。ビデオ生成の指示文入力においてタイ語をネイティブでサポートしているため、タイのクリエイターは英語の壁に阻まれることなく、地域の文化やスタイルを反映したコンテンツを容易に生成できる。

無料ユーザーが1回の生成で作成できるビデオの長さは最大15秒に制限されている。一方、有料のProパッケージの加入者は、最大25秒のクリップを生成でき、より高度なストーリーボード作成ツールなど、プロフェッショナル向けの機能にアクセスできる。

OpenAIの収益化戦略と段階的展開

OpenAIのSora責任者Bill Peebles氏は、タイでのローンチとほぼ同時に、Soraの無料提供における経済性は「完全に持続不可能」であると発言した。無料ユーザー(1日30生成)とProユーザー(1日100生成)という利用制限枠ですら、ユーザーの爆発的な需要に対し、Soraの運用に必要なGPUリソースが追いつかない状況だ。

この深刻なコスト問題に対処するため、OpenAIは設定された無料枠の制限を超えて利用したいパワーユーザー向けに、追加生成を10回あたり4ドルで購入できる有料オプションを発表した。Peebles氏は、これが単なる従量課金ではなく、クリエイターがプラットフォーム上で収益化できる「Soraエコノミー」構想の第一歩であると説明している。将来的には、クリエイターや企業が自身のCameoの使用料を他のユーザーに請求できる仕組みを試験的に導入する計画だ。

2025年9月から10月にかけて、OpenAIはSoraのアクセスを段階的かつ戦略的に拡大した。9月上旬に北米で招待制でローンチし、5日未満で100万ダウンロードを達成した。10月29日には日本と韓国で招待コード不要アクセスを期間限定で開放し、10月30日にタイ、ベトナム、台湾で公式ローンチとして恒久的にリリースした。

日本・韓国では高いユーザー一人当たり売上が期待できる先進国市場として収益化のポテンシャルをテストしている一方、タイ・ベトナム・台湾ではクリエイティブなUGCが活発で、モバイルファーストな急成長市場として、プラットフォームのネットワーク効果の最大化をテストしている。

タイの国家AI戦略との一致

OpenAIがタイをアジア初の公式ローンチ国の一つとして選定した背景には、タイの長期的な国家戦略との一致がある。タイ政府は「国家AI戦略・行動計画(2022-2027)」を策定している。そのビジョンは「2027年までにAIを経済と生活の質の向上に活用する効果的なエコシステムを構築する」ことであり、具体的には「ASEANのAIハブ」および「AI駆動型経済への変革」を目指すものだ。

この国家戦略の推進により、タイの政府AI準備度指数は2021年の59位から2022年には31位へと顕著な上昇を遂げている。タイ政府は、AIエコシステムの構築のために、2027年までに官民合わせて154億米ドル(約5,000億バーツ超)という大規模なAIインフラ投資を計画している。

国際連携にも積極的であり、UNESCOと連携してバンコクに地域初のAIガバナンス実践センターを設立し、知識共有と地域協力を推進している。タイ政府機関は、Microsoft、Amazon Web Services (AWS)、Googleといった米国の主要テクノロジー企業と戦略的提携を積極的に結び、クラウドおよびAI技術の導入を国家レベルで加速させている。

OpenAIがタイを選定した最大の理由として公式に挙げているのは、タイが「地域で最も活気に満ちたクリエイティブ・コミュニティの一つ」であること、そして「デジタル・ストーリーテリングにおける影響力の増大」である。この背景には、タイの高いAI導入率(ASEAN地域でインドネシアに次ぐ第2位)と、ファッション、広告、タイ料理、観光といった、同国の強力なクリエイティブ経済の基盤が存在する。

以前の記事「タイがAI主権に向けて動く ~ローカル言語モデルが切り開く新たな競争力~」で紹介したように、タイは国家AI戦略と民間企業の協力により、AI主権の確立を加速させている。Soraの導入は、この戦略的な流れの中で位置づけることができる。

クリエイティブ産業と中小企業への影響

Soraのタイ市場への投入は、特に同国のクリエイティブ産業と中小企業に、不可逆的かつ破壊的な影響を与えることが予測される。

Soraのような高性能AIビデオ生成ツールは、従来の映像制作プロセスを根底から覆す。特に、ストーリーボード作成、プリビジュアライゼーション、VFXといった工程は、AIによって大幅に自動化・低コスト化される。これにより、VFXアーティストや撮影クルーといった従来の制作職の需要は急速に減少する可能性が高い。一方で、AIに的確な指示を与え、生成された素材を編集して物語を構築する「AIクリエイティブ・ディレクター」や「プロンプト・エンジニア」といった新しい職種への需要が爆発的に高まると予想される。

タイの著名テレビ司会者Woody Milintachinda氏が「Soraはアイデアを命に吹き込む」と評価するように、Soraはプロのスタジオでしか不可能だった高品質な映像制作を、個人クリエイターにも開放する。これは、タイ国内のインフルエンサーや小規模クリエイターが、大手制作会社と対等に競争することを可能にする。

タイ経済は320万社を超える中小企業(全企業の90%、雇用の50%)によって支えられている。SCB EICの調査によれば、タイの中小企業の40.4%が既にAIを導入している一方で、多くの企業がコスト、導入の複雑さ、そして熟練したAI人材の不足という高い導入障壁に直面していた。

Soraアプリは、この障壁を劇的に下げる。中小企業が高額な費用をかけて広告代理店に外注していたプロモーションビデオやソーシャルメディア用動画を、オーナー自身がタイ語のプロンプトで安価かつ迅速に内製できるようになる。これは、タイの中小企業セクターにおけるマーケティングROIの飛躍的な向上を意味し、AIがもたらすマクロ経済効果(2030年までにタイのGDPに2.6兆バーツの寄与)の実現を強力に後押しする。

Soraの最大のインパクトは広告業界の破壊的創造である。タイの中小企業は、Soraを使って自ら高品質な広告を生成できるようになるため、従来の高コストな制作代理店への依存度が低下する。これにより、タイの広告業界は、単純な制作業務から、AIを使いこなす戦略・アイディアの提供へと、その提供価値の移行を強制される。

著作権と安全性の課題

Soraの強力な機能は、タイ社会に多大な利益をもたらす一方で、深刻な法的・倫理的課題を突きつけている。

Remix機能については、Bangkok Postの記者が鋭い懸念を表明している。OpenAIは「他者が明示的に共有に同意したコンテンツのみ」が対象だとしているが、改変された作品の著作権は誰に帰属するのか、元のクリエイターの権利はどこまで保護されるのか、という法的な曖昧さが残る。

Cameo機能についても法的リスクがある。OpenAIは、Soraのローンチ直前に、米国の著名人動画プラットフォーム「Cameo」から、「Cameo」という名称の使用に関して商標権侵害で提訴されている。ユーザーが自身のCameoを公開し、他者がそれをRemixで自由に改変できるようになった場合、元の人物の肖像権やパブリシティ権をどう保護するのか。タイの法律は、このようなAIによるアイデンティティの流動化という新たな問題にまだ対応できていない。

Soraの生成するビデオが、現実と見分けがつかないレベルに達しているため、タイ国内で政治的・社会的な偽情報を拡散するために悪用されるリスクは避けられない。OpenAIは、このリスクに対応するため、デジタル透かしや、暴力的・性的なコンテンツの生成を制限する分類器を導入している。

しかし、Soraの最大の価値(ハイパーリアリズム)は、同時にSoraの最大の危険性(ディープフェイク)と表裏一体である。OpenAIが導入した安全対策は、悪意あるユーザーによる回避策との「いたちごっこ」になる運命にある。タイの活発なソーシャルメディア環境は、これらのAI安全対策が、現実のバイラル・トレンドの中でどれほど有効かを試す、世界初のストレステストの場となる。

今後の展望

OpenAIによるSoraアプリのタイ市場投入は、AI技術の進化がグローバルなビジネス戦略と国家政策を巻き込みながら、社会実装フェーズへと移行したことを示す出来事である。

OpenAIは、Soraを単なるツールではなく、CameoとRemixというソーシャル機能を核に据えたモバイルアプリとしてタイに投入した。これは、TikTokやInstagramが支配するUGC市場の覇権を、AI技術の優位性によって奪取しようとする、壮大なビジネスモデルの転換である。

Soraの持続不可能なGPUコストを賄うため、OpenAIはクリエイターがCameoで収益化できるという新たな経済圏の構築を開始した。タイは、この「Soraエコノミー」が成立するかどうかを試すための、最も重要なクリエイティブ・サンドボックスとして選ばれた。

タイ政府にとって、世界最先端のAIであるSoraが、アジアで初めて自国市場で本格展開されたことは、同国の国家AI戦略の大きな成果である。これにより、タイはASEANのAIハブとしての地位を内外に強く印象付け、今後のAI関連投資を呼び込む強力な材料を手に入れた。

Soraの登場は、タイのクリエイティブ産業に既存の雇用を破壊する脅威をもたらすと同時に、中小企業経済に前例のない機会を提供する。BKK IT Newsとしては、今後、タイの政策立案者と教育機関が、この破壊的イノベーションによって生じる法的および社会的な歪みに、いかに迅速かつ賢明に対応できるかが、タイが真のAI駆動型経済へと移行できるかの試金石になると考える。

タイの教育機関は、従来のVFXソフトウェアの使い方を教えることから、SoraやRunwayといったAI動画生成ツールを使ったAIによる物語生成やプロンプト・エンジニアリングの教育へと、カリキュラムの緊急なピボットを迫られる。この適応の速さが、タイが真のAIハブになれるか否かの分水嶺となるだろう。

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