タイの観光業に異変が起きている。2025年1月から7月までの外国人観光客数は前年同期比6%減の1929万人となり、観光収入も4.22%減の8951億6000万バーツに落ち込んだ。年初は22%増という好調な滑り出しだったが、年半ばから急速に失速している。
中国市場の回復遅れが最大の要因
タイ観光業の不振の根本原因は、中国市場の回復の遅れにある。2025年1月から7月の中国人観光客は269万人にとどまり、パンデミック以前の2019年の1110万人からは程遠い水準だ。中国からの航空便キャパシティも、パンデミック以前の45%減の状況が続いている。
この状況は、タイの観光戦略における根本的な問題を浮き彫りにしている。パンデミック以前、中国人観光客は全到着者数の28%を占める最大のエンジンだった。この巨大な市場の穴を、他の市場では埋めることができずにいる。
円安日本の台頭がタイを脅かす
地域の競争環境も大きく変化している。日本は2025年上半期だけで2150万人の外国人観光客を迎え、前年同期比21%増を記録した。同期間のタイの累計1669万人を大きく上回る数字だ。
円安により、日本は「高品質でありながら手頃な価格」の旅行先となった。優れたインフラ、高い安全性と組み合わさり、タイが長年保持してきたコストパフォーマンスの高さを直接的に脅かしている。
象徴的な出来事が、タイの史上初の「観光赤字」だ。2025年上半期に日本を訪れたタイ人は100万人だったが、タイを訪れた日本人はわずか30万人だった。自国民が競合国を選ぶという事実は、タイの観光商品に対する強力な警鐘と言える。
ベトナムとマレーシアも急成長
ベトナムは2025年に前年比31%増の2300万人の観光客を目標に掲げ、「新鮮な代替案」として急成長している。航空便キャパシティも16%増加し、市場の期待感の高さを示している。
マレーシアは2025年第1四半期に1010万人の外国人観光客を誘致し、タイの955万人を上回って東南アジアで最も訪問された国となった。中国とインドに対するビザなし入国措置が功を奏している。
政府が「The New Thailand」戦略を発表
こうした危機に対し、タイ政府は2025年7月に「The New Thailand」と銘打った新戦略を発表した。「Value is the New Volume(価値こそが新たな量である)」をテーマに、マスツーリズムから高付加価値ツーリズムへの根本的転換を図る。
新戦略の核となるのは5つの「New」パラダイムだ。ミレニアル世代やZ世代、富裕層、ウェルネス志向の旅行者といった高付加価値セグメントをターゲットに、「Healing is the New Luxury(癒しこそが新たなラグジュアリー)」をコンセプトとして打ち出している。
注目すべきは、世界的な音楽フェスティバル「Tomorrowland Thailand 2026」のアジア初本格開催だ。これは単なるマーケティング戦術を超え、ドバイやシンガポールのような世界のエンターテインメント・ハブとの競合意思を示す象徴的な宣言と言える。
戦略転換の課題と矛盾
しかし、この新戦略には多くの課題が存在する。まず、「クオリティ・ツーリズム」という概念が曖昧で、実際には「ラグジュアリー・ツーリズム」と同義で使われることが多い。これは包括性や富の分配という目標とは必ずしも一致しない。
さらに深刻な矛盾は、政府が量への依存を減らそうとする一方で、業界は依然として中国市場の回復を切実に必要としていることだ。政府は高付加価値なニッチ市場を追求しながら、同時に中国の20都市から1000便のフライトに補助金を出すという、量を基盤とした戦術も提案している。
プーケットでの「クオリティ・ツーリズム」政策の実例では、地域の中小事業者ではなく、大規模な国際ホテルチェーンへの富の集中が進んだ。新戦略が真の持続可能性を実現するか、それとも別の形態の排他的な観光に変わるだけかは未知数だ。
BKK IT Newsの見解
今回の観光客数減少は、パンデミック以前から続いていた構造的問題の顕在化と捉えるべきだ。中国市場への過度な依存、単一のマスツーリズムモデルへの固執が、競争環境の変化に対する脆弱性を生み出していた。
「The New Thailand」戦略は正しい方向性を示しているが、その成功は戦略の内部矛盾を解決できるかにかかっている。真に持続可能で包括的な観光を目指すのか、それとも富をさらに集中させるラグジュアリー・ツーリズムのブランド変更に過ぎないのか。
重要なのは、「価値」を単なる高消費額以上に定義することだ。長期滞在、地方への分散、地域企業との関わりなども「価値」として評価する新たなKPIの設定が不可欠となる。
今後5年間が、タイが新たな競争環境で成功するために自己改革を成し遂げられるかを決定づけるだろう。2025年の不振は痛みを伴うが、必要不可欠な警鐘であった。この転換期の舵取りが、タイの観光業、ひいては国全体の経済の行方を左右する極めて重要な局面となっている。
参考記事リンク
- Thailand’s Foreign Tourist Numbers Fall 6% as Regional Competition Intensifies – The Nation
- Thailand’s foreign tourist numbers fall 6% as regional competition intensifies – Asian News Network
- Thailand’s foreign tourist numbers fall 6% as regional competition intensifies – The Straits Times
- TAT launches ‘The New Thailand’ strategy for future-ready tourism – Economic Times
- With India’s help, Vietnam challenges for Thailand’s tourism crown – Mastercard