タイ国営PTTの戦略転換 ~シェブロンから権益取得、英国企業とLNG販売契約で新局面~

タイ国営PTTの戦略転換 ~シェブロンから権益取得、英国企業とLNG販売契約で新局面~ タイ政治・経済
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タイ国営石油(PTT)グループが7月下旬に発表した2つの重要な戦略的行動が注目を集めている。PTT Exploration and Production(PTTEP)によるシェブロンからの4.5億ドルのガス田権益買収と、PTTによる英国セントリカ社とのLNG販売契約締結である。これらの動きは偶然の一致ではない。PTTが描く「攻守両面の戦略」の始まりと見るべきだ。

過去のエラワン紛争が残した教訓

今回の戦略を理解するには、過去の苦い経験を振り返る必要がある。2016年から2022年にかけて続いたエラワンガス田の操業権移行を巡るシェブロンとの激しい紛争は、タイのエネルギー安全保障の脆弱性を露呈した。

2016年の石油法改正により、設備撤去費用を過去に遡って適用されることになったシェブロンは強く反発。最大25億ドルの撤去費用を巡る対立は国際仲裁にまで発展した。この対立の最も深刻な結果は、シェブロンがPTTEPの現場への早期立ち入りを拒否したことだ。約2年間の遅れにより、2022年4月の操業開始時の生産量は契約水準を大幅に下回り、タイは高価なLNG輸入を余儀なくされた。

この教訓が、今回のA-18鉱区の完全取得という決断に繋がっている。同様の事態の再発を防ぐため、国家の重要資産に対する完全な操業管理権の確保が絶対不可欠という認識を強く植え付けたのである。

PTTの二正面作戦が始動

7月25日、PTTEPはシンガポール子会社を通じてHess International Oil Corporationの全株式を4.5億ドルで取得した。これにより、マレーシア・タイ共同開発区域(MTJDA)内のA-18鉱区における残りの50%の権益を取得し、完全支配権を掌握した。

A-18鉱区は現在日量約6億立方フィートの天然ガスを生産しており、タイに供給される日量3億立方フィートは国内ガス需要全体の6%を占める重要な供給源だ。特に、タイ南部のチャナ発電所の主要燃料として不可欠な役割を果たしている。この権益完全取得により、タイランド湾における国内ガス生産量減少という喫緊の課題に対し、重要なガス供給源の完全な管理権を掌握できた。

一方で、数日前に発表されたセントリカ社との契約は、PTTにとって全く新しい挑戦だ。PTTはシンガポールのトレーディング子会社PTT International Trading(PTTT)を通じて、英国の大手エネルギー企業セントリカ社と液化天然ガス(LNG)の10年間長期供給契約を締結した。2028年から供給開始予定のこの契約は、PTTにとって史上初となるタイ国外向けの長期LNG「販売」契約である。

国際石油資本の戦略転換が生んだ機会

この取引の背景には、世界のエネルギー業界における大きな地殻変動がある。シェブロンのようなスーパーメジャーが事業ポートフォリオの合理化を進める中、成熟した資産や非中核資産を売却している。シェブロンにとってヘス社買収の最大の目的は南米ガイアナ沖の巨大なスタブローク鉱区であり、タイのガス田は非中核資産と見なされた。

PTTEPの迅速な行動は、単なる受動的な買い手ではなく、国際的なM&Aの動向を常に監視し、国家的に重要な資産が市場に出た瞬間にそれを確保する戦略的プレーヤーであることを示している。この動きは、国際石油資本(IOCs)がポートフォリオを再構築し、国営石油会社(NOCs)がその空白を埋めるという潮流の典型例だ。

タイのエネルギー事情が迫る戦略転換

PTTグループの戦略は、タイが直面する深刻なエネルギー問題への直接的な回答でもある。タイランド湾における天然ガス埋蔵量が成熟期を迎え、生産量が減少傾向にある中、電力生産の68%を天然ガスに依存するタイは、価格変動が激しく高価な輸入LNGへの依存度を高めざるを得ない状況にある。

タイの電力開発計画(PDP)によると、2037年時点でも発電構成比の41%をガスが占めると予測されている。この国家方針が、A-18鉱区のような国内ガス源の確保と、安定的なLNG輸入の双方を戦略的に必要不可欠なものとしている。

地域LNGハブ構想の第一歩

セントリカ社との販売契約は、タイ政府が掲げる「地域LNGトレーディングハブ構想」を具現化する最初の重要な一歩でもある。PTTが単なる国内需要を満たすためのLNG輸入者から、国際市場で競争力を持つグローバルなLNGトレーダー、ポートフォリオ・プレーヤーへと進化しようとしていることを明確に示している。

この戦略転換により、PTTは安定した国内生産基盤を維持しながら、商業的なトレーディングと利益創出のための新たな収益源を確立できる。国内で確保できる天然ガスが1立方フィート増えるごとに価格変動の激しい国際LNGスポット市場への依存度が低下し、電気料金の安定化にも寄与する。

BKK IT Newsの見解:長期的な課題も内包

この二正面戦略は短期から中期的にエネルギー安全保障と経済的潜在力を高める一方で、長期的な課題も内包している。特に注意すべきは「カーボン・ロックイン」のリスクだ。

ガス関連インフラへの大規模な投資は、タイのエネルギーシステムを今後数十年にわたって天然ガスに依存させる構造を固定化させる。これは、世界が急速に脱炭素化へと向かう中で、タイが2065年までにネットゼロを達成するという国家目標の達成を著しく困難にする可能性がある。

企業が取るべき対応策

タイの日系企業にとって、この戦略的変化は以下の対応が必要だ。まず、エネルギーコストの安定化により製造業の国際競争力向上が期待される一方、長期的なエネルギー政策の変化を見据えた投資計画の見直しが重要となる。

また、PTTの国際トレーディング事業拡大により、新たなビジネス機会も生まれる。LNG関連インフラやエネルギー管理システムなど、関連分野での事業機会を検討すべきだろう。

今後のタイのエネルギー政策とPTTの経営にとって最大の課題は、このガス中心の戦略によって得られる利益と安定性を、再生可能エネルギーへの本格的な移行を加速させるための原資としていかに活用するかという点に集約される。現在の戦略的成功に安住することなく、その果実を未来への投資に振り向けることができるかが、タイの持続可能なエネルギーの未来を決定づけることになるだろう。

参考記事リンク

  1. PTTEP strengthens energy security for Thailand, acquiring Chevron’s interest to expand investment in MTJDA’s Block A-18
  2. PTT Secures First Long-Term LNG Export Contract Outside Thailand
  3. Centrica and PTT sign Heads of Agreement for long-term LNG supply
  4. Chevron disputes spur PTTEP takeover
  5. Thailand’s Clean Electricity Transition