タイPCB産業の構造転換が本格化 ~2,000億バーツ投資で製造業から設計業への歴史的転換~

タイに2,000億バーツPCB投資ラッシュ ~チャイナプラスワン戦略で世界的ハブに、8万人人材不足が課題~ タイ政治・経済
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タイのプリント基板(PCB)産業が歴史的な転換点を迎えている。過去3年間で2,000億バーツを超える外国直接投資が承認され、地政学的な追い風を受けて世界的なPCBハブとしての地位を急速に確立している。しかし、この成長の背後には8万人以上の人材不足という深刻な課題が潜んでおり、業界は単なる製造業から高付加価値の設計業への転換を迫られている。

チャイナプラスワン戦略がもたらした投資ブーム

タイのPCB産業への投資ブームは、米中間の地政学的緊張を背景とした「チャイナプラスワン」戦略が引き金となった。2023年だけで45件のPCBプロジェクトが承認され、総額921億7,000万バーツという前年比323%の驚異的な増加を記録した。

投資を主導しているのは台湾および中国本土の大手メーカーだ。世界最大のPCBメーカーZhen Ding Technologyは、初期投資100億バーツで2030年までに500億バーツ超の投資を計画している。同社の工場は2025年から本格稼働を開始する予定だ。

この投資ラッシュの背景には、AppleやDellといった米国の巨大テック企業が中国本土以外での生産を積極的に求めている現状がある。50社以上の企業がタイへの投資を決定し、世界のPCBサプライチェーンに構造的な変化をもたらしている。

タイ政府も「タイランド4.0」戦略の一環として、PCBを戦略的産業に位置づけている。投資委員会(BOI)は最大8年間の法人所得税免除、輸入関税免除など手厚い優遇措置を提供している。2024年には奨励対象を積層銅張板(CCL)など原材料メーカーにも拡大し、サプライチェーン全体の国内構築を目指している。

8万人の人材不足が成長の最大障壁に

しかし、このブームは深刻な構造的問題に直面している。業界は今後2年間で8万人以上の熟練労働者が不足すると予測されている。特に深刻なのは専門技術を持つエンジニアの不足で、必要な3万2,000人のうち大部分が確保できていない。

プロセスエンジニア、テスト開発エンジニア、回路設計エンジニア、ファームウェアエンジニアといった高度な専門職への需要が極めて高い。企業は高コストな外国人専門家の雇用を余儀なくされ、事業拡大のスピードに制約が生じている。

この人材不足に適切に対処できなければ、20億~30億米ドル相当の潜在的収益機会を失う可能性があると警告されている。投資は順調に進んでいるが、それを稼働させる人的資源の確保が急務となっている。

政府は危機感を強めており、高等教育・科学・研究・イノベーション省(MHESI)は2026年から2030年の間に8万人以上の人材育成計画を発表した。国家半導体トレーニングセンター(NSTC)を設立し、3つの大学を中核拠点として包括的な人材育成プログラムを開始している。

TESAとシノプシスが仕掛ける設計業への転換

タイが単なる組立拠点に留まることを回避する重要な動きが、半導体設計分野への挑戦だ。タイ組込みシステム協会(TESA)と世界的なEDAソフトウェア企業シノプシス社の提携は、この国家戦略の象徴といえる。

両社は覚書を締結し、AIoT(モノの人工知能)チップのプロトタイピングと大学カリキュラム開発に焦点を当てている。32ビットのRISC-Vアーキテクチャを採用したオープンソースチップの設計を通じて、タイ独自の技術力構築を目指している。

TESAは20以上の大学からなるネットワークを活用し、2026年末までに50人の専門家を育成する計画だ。シノプシス社はEDAツールの提供、技術サポート、スタートアップ育成支援を担当する。

この取り組みの狙いは、タイが毎年「数千億バーツ」相当の半導体を輸入している現状を変えることにある。国内の設計能力を育成することで、経済安全保障の観点からも重要な技術主権の確立を目指している。

EV・AIサーバー需要が市場拡大を牽引

PCB産業の成長を支えているのは、電気自動車(EV)とAIサーバーという二つの高成長分野だ。EV1台当たりのPCB価値は従来の内燃機関車の5~6倍に達し、バッテリーマネジメントシステムなどの複雑な電子部品が需要を押し上げている。

AIサーバー、5G通信インフラ、IoTデバイスの普及により、高密度相互接続(HDI)基板や多層基板といった高付加価値PCBへの需要も急増している。これらの技術要求に応えることで、タイの製造能力は技術的に高度化する大きな機会を得ている。

タイで生産されるPCBの約80%は輸出向けで、主要な輸出先は中国、米国、日本だ。世界市場でのシェアは現在約4%だが、政府は今後3~5年で10~15%まで引き上げることを目標としている。

今後の予想と企業への示唆

BKK IT Newsは、タイのPCB産業が今後2~3年間で大きな分岐点を迎えると予想する。人材不足の解決が最優先課題となり、その成否が産業全体の競争力を左右する。

政府と民間が連携した人材育成プログラムの効果が現れるまでには時間がかかるため、当面は外国人専門家への依存が続く見込みだ。企業は人材コストの上昇を織り込んだ事業計画の見直しが必要となる。

設計業への転換については、RISC-VとAIoTというニッチ分野での足場固めが現実的なアプローチといえる。ここで成功すれば、より広範な半導体設計分野への参入も視野に入ってくる。

企業にとっては、この変革期を成長機会として活用する戦略的視点が重要となる。製造業から設計業への転換は容易ではないが、中所得国の罠からの脱却に向けた必要な変革でもある。人材育成への投資と技術力向上への取り組みが、長期的な競争優位性確立の鍵となるだろう。

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