4兆円プロジェクトの終焉 ~タイ「ランドブリッジ計画」頓挫が日系企業に与える影響~

4兆円プロジェクトの終焉 ~タイ「ランドブリッジ計画」頓挫が日系企業に与える影響~ タイ政治・経済
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2025年7月13日、バンコクポスト紙が「Land Bridge Falls Flat」と題した記事で、タイ政府が長年推進してきたランドブリッジ計画が事実上頓挫したことを報じた。総投資額約1兆バーツ(約4兆円)という巨大プロジェクトの挫折は、タイの経済戦略と日系企業のビジネス展開に重大な影響を与える。セーター政権が鳴り物入りで推進した国家的野心は、市場の現実の前に屈した形となった。

17世紀から続く野心の歴史

ランドブリッジ構想の歴史は意外に古い。1677年のアユタヤ時代まで遡る。クラ地峡を横断する構想は、1859年にイギリスのロイド社がラーマ4世に鉄道計画を具申したのが近代的な始まりだった。しかし、列強の思惑と地政学的配慮により破棄された。

第二次世界大戦中には、日本軍が1943年にクラ地峡横断鉄道を実際に建設・開通させている。戦後も計画は浮上と頓挫を繰り返した。2003年にはタクシン政権が「戦略的エネルギーランドブリッジ」を承認したが、2004年の津波災害で中止となった。

プラユット軍事政権下で「南部経済回廊(SEC)」の一環として再び閣議決定されたが、政治的安定性の欠如や環境問題で停滞が続いていた。

セーター政権の国際的な投資誘致活動

2023年9月に発足したセーター政権は、ランドブリッジ計画を経済成長の起爆剤として位置づけた。アンダマン海側のラノーン県とタイ湾側のチュムポーン県を、深海港、6車線高速道路、鉄道、石油・ガスパイプラインで結ぶ全長約90-100kmの複合輸送システムとして構想された。

セーター首相は積極的な国際ロードショーを展開した。米国のAPEC会議、中国、日本、スイスのダボス会議など世界各国を訪問し、投資家に計画を売り込んだ。政府は官民連携(PPP)モデルを採用し、投資家には50年間の事業権付与を検討していた。

計画の売り文句は魅力的だった。マラッカ海峡経由に比べ輸送時間を約4日短縮し、輸送コストを15%削減できるとされた。最終的にはGDPを4%から5.5%に引き上げ、28万人の雇用創出を目指していた。

しかし、現実は政府の期待を大きく裏切った。海運業界のベテランや幹部は、ランドブリッジが物流の摩擦を減らすどころか増加させると強く批判した。貨物の二重取り扱い(船から降ろし、陸路で輸送し、別の船に積み直す)が時間とコストを増加させ、マラッカ海峡利用よりも非効率になるとの指摘が相次いだ。

関心を示した数少ない投資家は、物流事業者ではなく海外の不動産開発業者だった。これは、プロジェクトが主張する物流拠点としての役割ではなく、投機的な土地開発になる懸念を生んだ。

頓挫の決定打となった現実

首相や運輸相による度重なる国際ロードショーにもかかわらず、具体的な投資コミットメントは得られなかった。中国での「最後の」ロードショー後も「興味を示した者ばかりで、投資家は一人もいなかった」と報じられた。

プロジェクトの開発と運営を可能にする南部経済回廊(SEC)法案も、市民社会からの強い抗議により停滞した。地元住民は環境破壊、用地収用、外国投資家への特別優遇につながると強く反対していた。

学術専門家や海運経済学者も、ランドブリッジが船舶にとって利益にならないと指摘し、高額な通過料も懸念材料とした。国家経済社会開発評議会(NESDC)は「経済的に実現不可能」と結論付けていた。

今後の展望と代替戦略

ランドブリッジ計画の頓挫は、タイの経済戦略に大きな見直しを迫る。マラッカ海峡の代替ルート確保という目的は依然として存在するため、より小規模で実現可能性の高い物流改善策が検討される可能性がある。

地域経済開発は、トップダウン型から地域の実情に即した持続可能なアプローチへとシフトする可能性が高い。地方分権的な開発モデルや、地域コミュニティのニーズを重視したプロジェクトが重視されるだろう。

タイ政府は引き続き「中所得国の罠」からの脱却を目指すが、そのアプローチはより慎重かつ多角的なものとなる見込みだ。

日系企業が取るべき対応策

ランドブリッジ計画の頓挫は、日系企業のタイ戦略にも影響を与える。物流効率化への期待が消失し、既存のマラッカ海峡ルートへの依存が継続する。

一方で、これは新たな機会でもある。政府の開発戦略が見直される中、より実現可能性の高いインフラプロジェクトへの参画機会が生まれる可能性がある。既存の港湾や鉄道網の効率化、スマートロジスティクスの導入など、より現実的な改善策への投資が注目される。

日系企業は、タイ政府の新たな経済戦略を注視し、変化する投資環境に柔軟に対応する必要がある。特に、持続可能性と地域コミュニティとの協調を重視した事業展開が、今後の成功の鍵となるだろう。

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