タイ 外国人観光客への国内線航空券無料検討~観光覇権奪還に向けた戦略的賭け

外国人観光客20万人に無料航空券 タイが仕掛ける地方都市振興戦略 タイ政治・経済
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タイ政府が外国人観光客向けの国内線航空券無料化キャンペーンを検討している。観光・スポーツ省が主導し、7億バーツの予算で20万人の外国人観光客に無料往復航空券を提供する計画だ。マレーシアに観光客数で抜かれたタイが、「Buy International, Free Thailand Domestic Flights」として政策の切り札を打つ。

危機感を抱えるタイ観光業界

タイの観光業界は2025年に深刻な危機に直面している。外国人旅行者数は8月中旬時点で2,080万人となり、前年同期比7%減少した。特に最大市場である中国からの観光客は290万人にとどまり、パンデミック前の2019年の1,100万人には遠く及ばない状況だ。

競合国の躍進も脅威となっている。マレーシアが2025年第1四半期に1,010万人の外国人観光客を誘致し、タイの950万人を上回ってASEAN地域最多の訪問者数を記録した。ベトナムも600万人の観光客を受け入れ、同期間にタイを上回る160万人の中国人観光客を誘致している。

安全への懸念も観光客減少の要因として挙げられる。特に中国人観光客の間では、タイが安全な旅行先ではないという認識が広がっている。2023年のサイアム・パラゴン銃乱射事件や地域的詐欺ネットワーク関連の犯罪事件が影響している。

7億バーツキャンペーンの詳細

観光・スポーツ省のソラウォン・ティエントン大臣が主導する無料航空券キャンペーンは、政府予算7億バーツを投入して20万人の外国人観光客を対象とする大規模な施策だ。

キャンペーンの仕組みは明確に定められている。政府は参加航空会社に対し、観光客1人あたり片道1,750バーツ、往復で3,500バーツを上限として国内線航空券の費用を補助する。この補助には20kgの受託手荷物許容量も含まれ、国際旅行者の利便性を高める配慮がなされている。

参加航空会社はタイ国際航空、タイ・エアアジア、バンコク・エアウェイズ、ノックエア、タイ・ライオン・エア、タイ・ベトジェットの6社となる。これにより国内の広範な路線網をカバーし、観光客に多様な目的地の選択肢を提供する。

対象者はタイへの国際線をまだ予約していない外国人観光客に限定される。航空会社の公式ウェブサイトやオンライン旅行代理店を通じて標準国際航空券を予約することで、無料国内線の権利を得られる仕組みだ。

実際の旅行期間は2025年9月から11月のローシーズンに設定されている。この時期はプーケットやクラビなどアンダマン海沿岸の主要観光地がモンスーンの影響を受け、観光業界が最も支援を必要とする時期にあたる。

地方都市振興の戦略目標

キャンペーンの戦略的目的は観光客をバンコク、プーケット、チェンマイといった主要観光都市を越えて地方都市へ誘導することにある。これは政府が推進する55の地方指定都市振興政策と完全に一致している。

政府はこのキャンペーンにより最低88.1億バーツの直接観光収入と、218億バーツの経済波及効果を見込んでいる。投資収益率は12.5倍以上、経済全体への乗数効果は31倍以上という楽観的な予測を示している。

航空業界とホスピタリティ業界には直接的な恩恵がもたらされる。参加6社の航空会社はローシーズンの国内線搭乗率向上を期待でき、地方都市のホテルは予約の大幅な増加が見込める。地方経済のレストランやツアーオペレーター、土産物店といった中小企業にも観光客消費が振り向けられる。

日本モデルの参考と課題

タイ政府関係者は日本の同様の国内線無料キャンペーンを頻繁に引き合いに出している。これは政策の正当化戦略として機能している。日本での成功要因にはJALなど主要航空会社との予約プロセスへのシームレスな統合や、単なる「無料」ではなく文化発見の機会として位置づけた強力なマーケティングが含まれる。

しかし実施上のリスクも存在する。過去の「Travel Thailand Half-Half」国内観光補助金制度では、予約アプリケーションの技術的不具合、不安定なシステム、不明確な規則などの問題が発生した。これらの失敗経験は無料航空券キャンペーンにとって直接的なリスク要因となる。

20万人の観光客を地方都市へ送り込むことで、意図せずして新たなオーバーツーリズムのホットスポットを生み出す可能性もある。主要ハブ都市が持つインフラや環境収容力に欠ける地方都市では、観光客の大量流入による問題が発生するリスクがある。

企業戦略への影響

BKK IT Newsは、このキャンペーンが短期的には強力な経済刺激効果をもたらすものの、長期的な市場歪みを引き起こす可能性があると分析している。政府補助金による人為的な需要創出は、12月のキャンペーン終了後に反動減をもたらすリスクを内包している。

企業にとっては地方市場への参入機会が拡大する一方、補助金依存の危険性にも注意が必要だ。観光関連事業者は持続可能な長期戦略を並行して構築することが重要となる。

航空会社とホテル業界は直接的な受益者となるが、キャンペーン終了後の需要維持策を検討する必要がある。地方の中小企業は観光客流入の準備と質の高いサービス提供体制の整備が求められる。

この無料航空券キャンペーンは、タイが観光大国としての地位を守るための戦略的賭けといえる。その成功は施策の実行力と、政府がその結果を適切に管理する能力にかかっている。

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