デロイト・タイランドが2025年8月に発表したデジタルトランスフォーメーション調査で、タイ企業の現状が明らかになった。企業のデジタル化は着実に進展している一方、生成AIでは深刻な専門知識不足という課題が浮き彫りになった。
企業のデジタル化は実用段階に到達
調査対象334社のうち、44%の企業が「Doing Digital(デジタル化の実践)」段階にある。これは特定の業務機能でデジタルツールを活用し、効率化を図る実践的な取り組みを示している。
主な成果として「従業員の生産性向上」(67%)、「顧客体験の向上」(61%)、「コスト削減」(58%)が上位を占める。企業は投資対効果の早い「クイックウィン」を重視し、確実な成果を追求している。
一方で根深い課題も残る。「社内外の専門知識の不足」(35%)、「予算・リソースの不足」(34%)、「既存のオンプレミスITシステムとの連携の困難さ」(31%)が主要な障壁となっている。
生成AIで露呈した深刻な専門知識ギャップ
生成AIに関しては厳しい現実が明らかになった。タイ経営層で自社のGenAIに関する専門知識が「高い、または非常に高い」と自己評価するのはわずか5%。これは世界平均の44%と比較して39ポイントもの大幅な差である。
さらに深刻なのは経営層内の認識ギャップだ。取締役会やCEOの約60%が「自社はGenAIに十分な注意を払っていない」と考える一方、CIOやCTOの80%以上は「適切なレベルで注力している」と回答している。
GenAI導入の主なユースケースは業務効率化が中心で、「検索・ナレッジマネジメント」(68%)、「コンテンツ要約」(54%)、「コンテンツ生成」(50%)がトップ3を占めている。
人材不足が最大のボトルネック
GenAI導入における最大の障壁は「技術的な人材とスキルの不足」で、回答者の63%がこの問題を挙げた。これは2番目の「導入戦略の欠如」(32%)の約2倍の数値であり、人材問題が他の全てを圧倒する最重要課題であることを明確に示している。
国家AI戦略は9万人のAI専門家育成を目標としているが、ユネスコ報告によれば現状で8万人の不足が生じている。この巨大なギャップを埋めるため、政府と民間企業による多層的な取り組みが進められている。
Microsoft「THAI Academy」は100万人のスキル向上を目指し、Google「Gemini Academy」は2万人の教育者を研修対象とする。Huaweiはチュラロンコン大学と提携し、3万人のクラウド・AI人材育成を進めている。
Thailand 4.0戦略との乖離
政府の「Thailand 4.0」戦略は高付加価値経済への転換を目指し、AI分野への154億米ドルの投資を約束している。デジタル経済振興機関(DEPA)は東部経済回廊(EEC)における「タイ・デジタルバレー」整備や企業への資金援助を推進している。
しかし現場の企業は政府の壮大なビジョンとは対照的に、現在のリソースで管理可能な範囲での慎重なデジタル化を進めている。この実利的なアプローチは企業として合理的だが、国家レベルでの飛躍的成長を目指す政策目標との間にギャップを生んでいる。
企業の成功事例と課題
大企業では具体的な成果が見られる。サイアム商業銀行(SCB)は「2027年までに収益の75%をAIから創出」という目標を設定し、全従業員のAIリテラシー向上を推進している。
一方で課題も明らかになっている。砂糖製造大手のMitr Pholは30以上のAIプロジェクトを抱えているが、データがAI活用ではなく従来業務のために構造化されているため、AIモデルのスケールアップが困難な状況だ。
グローバル企業の戦略的役割
Google10億ドル投資によるデータセンター建設、Huaweiのクラウドエコシステム開発、Microsoftの人材育成プログラムは、タイのデジタル基盤整備に重要な役割を果たしている。
これらの投資は、企業が直面する予算、人材、技術アクセスといった障壁を緩和する効果を持つ。特にスタートアップが世界クラスのツールやプラットフォームにアクセスしやすくなることで、参入障壁を下げ、エコシステム全体を活性化させている。
ソブリンAI戦略という野心
タイは自国語に特化した大規模言語モデル(LLM)「ThaiLLM」の開発に注力している。これは外国技術への完全依存を避ける「ソブリンAI」確保の戦略的決断である。
タイ国家科学技術開発庁(NSTDA)、チュラロンコン大学、民間Siam AIなどが連携し、韓国Naverとの提携で開発を加速させている。基盤データセットやツールキットをオープンソースで公開し、国内イノベーション・エコシステムの育成を目指している。
高い期待と潜在的リスク
タイの消費者はAIに対して東南アジア諸国で最も高い信頼を示している。国民の73%以上が日常生活でAIを利用し、今後5年間でAIが生活に不可欠な役割を果たすと信じている。
しかし高い期待の裏には「個人データ安全性の不確実性」(37%)への懸念も存在する。地方のコミュニティや高齢者といった脆弱なグループが直面するデジタル・デバイドが、高度なAI導入によってさらに拡大するリスクもある。
BKK IT Newsの見解
タイのAI戦略が成功するかは、人材という根本的なボトルネックを解消できるかにかかっている。政府の野心的な投資計画と現場企業の慎重なアプローチの間にあるギャップを埋めるには、実践的で包括的な人材育成が不可欠だ。
企業への提言
投資の焦点を単なる業務効率化から、AI駆動のイノベーションによる売上成長へとシフトさせることを選択肢として検討したい。
人材をコストではなく価値創造の最重要資産と見なし、社内AIアカデミーの設立や従業員のスキル向上に投資するアプローチがある。断片化されたレガシーデータ構造の上にスケーラブルなAIは構築できないため、データガバナンスと統合データプラットフォームの構築を最優先事項とすることも重要だ。
タイのデジタル変革は転換点にある。企業、政府、教育機関が連携した包括的な取り組みが求められる局面だ。
参考記事リンク
- Thai organisations on the right digital track – Bangkok Post
- Thailand Digital Transformation Survey Report 2025 – Deloitte
- Thailand AI Readiness Assessment Report 2025 – TDRI
- Thailand Invests in Developing Its Own AI Model – Thai Embassy Washington
- Thai AI investment commitments top $15 billion – Bangkok Post