Google、Microsoft、Amazon Web Servicesなど世界的なハイパースケーラーがタイに総額3兆円規模の巨額投資を決定した。AI技術の急速な発展がデータセンター需要を押し上げる中、タイ政府の長期戦略「タイランド4.0」が結実している。この投資ラッシュは製造業を含む幅広い産業に変革をもたらし、日系企業にとって重要な転換点となっている。しかし、デジタル人材の深刻な不足や環境負荷といった課題も顕在化しており、対策が急務となっている。
10年にわたる戦略的基盤整備の成果
タイ政府のデータセンター投資誘致は、一朝一夕に実現したものではない。2016年に開始された「タイランド4.0」戦略が、今回の投資ブームの基盤となっている。この戦略は農業・軽工業中心の経済から、イノベーション主導型への転換を目指している。
政府はデジタルインフラ整備を継続的に推進してきた。国際海底ケーブルネットワークの拡充により、2030年までに総容量を現在の62Tbpsから334Tbpsに増強する計画を進めている。既に2021年にはASIA Direct Cable(ADC)建設に参加し、アジア太平洋6カ国との接続を実現した。
東部経済回廊(EEC)の整備も重要な要素だ。タイの外国投資急増で日系企業にも投資機会で以前分析したように、2025年最初の4ヶ月間で外国投資全体の30%にあたる108社がEECに投資した。投資総額は314億バーツに達し、前年同期比40%増となっている。
世界的ハイパースケーラーの本格参入
タイ投資委員会(BOI)は、データセンターおよびクラウドサービスに対し総額909億バーツ(約3兆円)の投資を承認した。これは過去最大規模の投資となっている。
最大の案件は中国のBeijing Haoyang Cloud&Data Technologyによる727億バーツ相当、300メガワット規模のデータセンター建設だ。2026年の稼働開始を予定している。一方、米国勢も積極的だ。Googleは10億ドルを投じてバンコクとチョンブリにデータセンターを建設し、2027年初頭のサービス開始を目指している。
Amazon Web Servicesは15年間で50億ドルの投資を計画している。既に2025年1月にはタイランドリージョンを立ち上げた。Microsoftも東部経済回廊に10億ドル超のデータセンター開設を進めている。
ByteDanceのTikTokも参入を表明した。2025年1月に1,268億バーツ相当のデータホスティングサービス設立計画を発表している。これらの投資は単なるデータストレージではなく、AIワークロードの中心地としてタイを位置づける戦略的な動きだ。
BOIは投資家に対し包括的な優遇措置を提供している。データセンター投資には8年間の法人所得税免除、機械・設備の輸入関税免除、外国人による土地所有権、IT専門家の労働許可・ビザ円滑化が適用される。投資額50億バーツ以上、Tier III以上の基準準拠が条件だが、AI統合などの付加価値サービスには追加インセンティブも用意されている。
製造業への波及効果も顕著に現れている。米中対立によるサプライチェーン再編で、中国や台湾の大手プリント回路基板メーカーの多くがタイへの分散投資を決定している。タイは同産業の新たなグローバルハブとして台頭している。
データセンター市場は急速に拡大している。2025年の0.51千MWから2029年には1.1千MWに達すると予測されている。年平均成長率9.05%で、市場規模は2030年に1.47億ドルに達する見込みだ。タイのクラウド産業収益は2025年に800億バーツに達し、その後毎年倍増すると予測されている。
デジタル人材不足という深刻な課題
この急成長には重大な課題が伴っている。最大の問題はデジタル人材の不足だ。タイには14万人以上のデジタル人材が必要とされているが、デジタルスキルの成長率は年間わずか1.4%に留まっている。一方、デジタルビジネスの年間成長率は13%と予測されており、深刻なミスマッチが発生している。
DEPAのデジタル人材育成ロードマップで詳しく分析したように、政府は対策を講じている。デジタル経済推進庁(DEPA)は税制優遇措置を伴う100以上の公式認定デジタルスキルコースを開始した。2027年までに500コースに拡大し、年間100万人のデジタル人材育成を目指している。
企業が従業員を研修プログラムに登録した場合、関連費用に対して最大250%の法人所得税控除が受けられる。デジタルスキルを持つ個人を雇用する企業には、給与費用に対して最大150%の法人所得税控除も適用される。
環境負荷も重要な課題だ。データセンターは膨大な電力を消費し、特にAIワークロードの増加により温室効果ガス排出量が急増している。Googleの2024年環境報告書では、データセンターとAI開発により2019年比で温室効果ガス排出量が48%増加したと報告されている。
冷却に大量の水を必要とし、使用後の温水が自然水源に排出されることによる水質汚染や生態系への影響も懸念されている。タイ政府は2050年カーボンニュートラル目標を掲げており、データセンター部門の持続可能性への貢献が不可欠となっている。
地政学的バランスと今後の展望
米中間のテクノロジー競争が激化する中、タイは巧妙なバランス戦略を採用している。中国企業からの最大規模投資を受け入れる一方、米国系企業との関係も重視し、多角的な連携戦略を維持している。
この実用主義的なアプローチが、タイの競争力の源泉となっている。地政学的な連携よりも費用対効果分析が技術選択を推進しており、AIは2030年までに地域GDPを最大9,500億ドル増加させる可能性を秘めている。
ASEANデジタル経済枠組み協定(DEFA)の2025年末最終合意に向けた交渉も加速している。クラウドファースト政策でASEANのAIハブを目指すで解説したように、タイは地域全体のデジタル変革を主導する役割を担おうとしている。
データセンター集積は独自の経済圏を形成する可能性を秘めている。リソースの最適化、相互接続性の向上、IT人材の呼び込みにより、タイはASEAN地域におけるデジタル経済のリーダーとしての地位を確固たるものにできる。
企業が取るべき戦略的対応
この投資ラッシュは企業にとって重要な機会となる。まず、デジタル人材の確保と育成が急務だ。政府の税制優遇措置を積極的に活用し、従業員のデジタルスキル向上に投資すべきである。AI、クラウド、サイバーセキュリティなどの高スキル人材育成が競争力の鍵となる。
製造業では、データセンター関連の部品供給や冷却システムなど、新たなビジネス機会が生まれている。クラウドサービスの普及により、中小企業でもAIや自動化技術の導入が容易になる。
環境面では、持続可能性への取り組みが競争力の源泉となる。再生可能エネルギーの導入や水効率の高い冷却技術の採用など、ESG経営の実践が投資誘致の条件となりつつある。KDDIの「TELEHOUSE Bangkok」は、タイ初の100%再生可能エネルギーによるCO2排出量実質ゼロのデータセンターとして注目されている。
地政学的リスクを踏まえたサプライチェーンの多角化も不可欠だ。米中対立の激化により、特定国への過度な依存は大きなリスクとなる。タイを拠点とした東南アジア全体での事業展開を視野に入れ、リスク分散と成長機会の両立を図るべきだろう。
BKK IT Newsとしては、この投資ラッシュは単なる一過性のブームではなく、構造的な変化であると判断している。企業は短期的な対応に留まらず、長期的な視点でデジタル戦略を構築することが重要だ。特に、人材育成とサステナビリティへの配慮が競争力の源泉となるだろう。
参考記事リンク
- Thailand approves US$ 2.7 billion data center investments: https://w.media/thailand-approves-us-2-7-billion-data-center-investments/
- Foreign Investment in Thailand Surges in First Four Months of 2025: https://www.khaosodenglish.com/news/business/2025/05/29/foreign-investment-in-thailand-surges-in-first-four-months-of-2025/
- What The Thailand 4.0 Initiative Means For Your Business – Emerhub: https://emerhub.com/thailand/what-the-thailand-4-0-initiative-means-for-your-business/
- Thailand: Advancing Strategies to Boost the Digital Economy – OpenGov Asia: https://opengovasia.com/thailand-advancing-strategies-to-boost-the-digital-economy/
- Data Storage innovations leading the way to more sustainable data center infrastructure – Bangkok Post: https://www.bangkokpost.com/business/general/3065197/data-storage-innovations-leading-the-way-to-more-sustainable-data-center-infrastructure