2025年7月28日、5日間にわたって続いたタイ・カンボジア間の激しい国境紛争が、マレーシアの仲介により停戦合意に至った。プトラジャヤで行われた首脳会談では、米国のトランプ大統領による「貿易交渉停止」の圧力が決定的な役割を果たした。しかし、1世紀にわたる領土問題の根本的解決には至らず、脆弱な和平が続く見通しだ。
外部圧力による停戦実現
今回の停戦合意は、両国の自発的な和解というよりも、強力な外部からの圧力によって実現した。最も重要な触媒となったのは、トランプ米大統領による「戦闘が継続する場合、両国との貿易交渉を中断する可能性がある」との明確な警告だった。
8月1日に迫った関税問題の期限を前に、この「貿易カード」は両国にとって無視できない強力な圧力となった。タイ、カンボジア両首脳は公式にトランプ大統領の役割を評価する声明を発表し、米国務長官マルコ・ルビオも和平努力を支援するため当局者がマレーシア現地にいることを認めた。
中国もまた全ての関係者と緊密に連絡を取り、対話と停戦を積極的に推進していた。中国大使が協議に同席した事実は、地域の安定に対する中国の深い利害関係を物語っている。
5日間の激しい戦闘
紛争の発端は7月23日のタイ兵士5名が負傷した地雷爆発事件だった。翌24日には大規模な戦闘が勃発し、カンボジア軍がBM-21多連装ロケット砲を投入する一方、タイはF-16戦闘機による空爆で応酬した。
戦闘は単なる小競り合いのレベルを超え、両軍は重火器を投入した本格的な軍事衝突となった。タイは国境に接する8つの郡に戒厳令を布告し、国境検問所を全面閉鎖した。この5日間で少なくとも35名が死亡し、27万人以上が避難を余儀なくされた。
注目すべきは、カンボジアがタイに対してクラスター弾の使用を非難した点だ。タイ軍は当初これを否定したが、後に報道官が「軍事目標達成のため必要な場合には使用しうる」と認め、国際人権団体から強い懸念が表明された。
1,740億バーツの経済損失
国境検問所の全面閉鎖は、両国間の貿易に壊滅的な打撃を与えた。2024年実績ベースで年間1,740億バーツ以上に相当する二国間貿易が完全に停止し、タイからカンボジアへの輸出1,418.5億バーツ、カンボジアからの輸入326.8億バーツが影響を受けた。
特に深刻な影響を受けたのは、カンボジアで事業展開するタイ企業だった。カラバオ・グループは総収益の13~15%をカンボジア市場から得ており、供給途絶に備え在庫を通常の3倍に積み増す対応を取った。航空関連のSAVは収益の100%をカンボジアに依存しており、最も深刻な打撃を受けた。
観光業への影響も看過できない。国境県の観光客数が著しく減少し、宿泊予約のキャンセルが相次いだ。コロナ禍後の回復が期待されていた中での出来事であり、タイが「安全な観光地」というイメージを損なう結果となった。
タイ政治危機が紛争を誘発
今回の紛争のタイミングは偶然ではない。2025年6月、ペートンターン・シナワット首相とカンボジアのフン・セン上院議長との電話会談内容が漏洩し、タイ国内で激しい政治的嵐を巻き起こした。
ペートンターン首相のへりくだった態度や自国軍司令官への批判的言及は、タイの主権を損なうものとして厳しく非難された。連立政権の主要パートナーであったタイ誇り党が政権を離脱し、最終的に憲法裁判所がペートンターン首相の職務停止を命じる異常事態に発展した。
国境紛争が勃発した際、タイは正統性に疑問符がつく暫定的な首相代行プームタム・ウェーチャヤチャイ氏によって率いられていた。バンコクの権力中枢に空白が生まれ、文民政府と軍の関係が著しく悪化したこの状況を、カンボジア指導部、特に依然として強い影響力を持つフン・セン氏が、国境問題で自国の優位性を確立するための好機と捉えたことは想像に難くない。タイの国内政治の混乱は、そのまま地域の競合国がタイの国益に挑戦するための「機会の窓」となったのだ。
脆弱な和平の限界
プトラジャヤ合意は重要な第一歩ではあるが、紛争の根本原因である領土問題は全く解決されていない。タイ・カンボジア両国間には約817kmの国境線に未画定部分が存在し、その起源は20世紀初頭のフランス・シャム間条約にまで遡る。
11世紀のヒンドゥー教寺院プリアヴィヘア遺跡を巡る問題は特に複雑だ。1962年の国際司法裁判所判決、2013年の判決解釈を経ても、周辺4.6平方キロメートルの帰属問題は未解決のまま残されている。
さらに深刻なのは、この一連の出来事が国境問題をタイ国内の政争における強力な武器に変質させた点だ。シナワット派に貼られた「売国的」というレッテルは、将来カンボジアとの外交的妥協を政治的に極めて困難なものにするだろう。
今後の展望と企業への影響
停戦の履行確保のため、タイの第1・第2軍管区とカンボジアの第4・第5軍管区による現地司令官会合が7月29日午前7時に設定された。8月4日にはカンボジア主催で一般国境委員会の会合も開催される予定だ。
しかし、根本的な問題が解決されない限り、特にタイ国内の政治が不安定化する時期を狙って同様の紛争が再燃するリスクは依然として高い。BKK IT Newsとしては、この停戦が恒久的な解決ではなく一時的な小康状態に過ぎず、企業は地政学的リスクを念頭に置いた事業計画の見直しが必要と考える。
カンボジアに事業展開する企業は、より強固な事業継続計画の策定が急務だ。在庫の積み増し、代替サプライチェーンの確保、労働力不足への対応策など、紛争による混乱への耐性を高める取り組みが求められる。
国境貿易の再開により短期的な経済活動は正常化に向かうが、1世紀にわたる領土問題とタイ国内政治の不安定要因が解決されない限り、この地域のビジネス環境は潜在的な地政学的リスクを抱え続けることになる。
参考記事リンク
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Thailand, Cambodia agree to ‘immediate, unconditional’ ceasefire (Al Jazeera)
https://www.aljazeera.com/news/2025/7/28/thailand-cambodia-border-clashes-continue-before-malaysia-ceasefire-talks -
Cambodia and Thailand agree to immediate ceasefire following (Khmer Times)
https://www.khmertimeskh.com/501727225/cambodia-and-thailand-announce-ceasefire/ -
Thailand launches airstrikes on Cambodia as border clashes leave at least 14 dead (AP News)
https://apnews.com/article/thailand-cambodia-armed-clash-border-5b1e15987fb02132268913e474250c51 -
Thai Businesses Overhaul Cambodia Plans as Border Clashes Escalate (Nation Thailand)
https://www.nationthailand.com/business/economy/40053042 -
The Latest on Southeast Asia: Border Row Threatens to Topple Thai Government (CSIS)
https://www.csis.org/blogs/latest-southeast-asia/latest-southeast-asia-border-row-threatens-topple-thai-government