Nvidia4兆ドル達成とH20輸出再開 ~米中技術戦争の新たな転換点~

Nvidia時価総額4兆ドル達成とH20チップを巡る地政学リスク AI
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2025年7月、半導体業界に歴史的な変化が起きた。Nvidia Corporation(ナスダック:NVDA)が7月9日に時価総額4兆ドルを突破し、世界初の4兆ドル企業となった。同時に、米国政府が中国向けAIチップ「H20」の輸出禁止措置を撤回し、3ヶ月ぶりに販売を再開した。この2つの出来事は単なる偶然ではない。米中技術戦争の構造的転換と、レアアース供給を巡る地政学的交渉の結果である。企業にとって、この変化が示す新たなリスクと機会を理解することが急務となっている。

米中対立の経緯と転換

2022年10月、バイデン政権は中国の技術発展を阻止する目的で、先端半導体の輸出管理規則を導入した。この「現状凍結」政策は、中国のAI開発を力ずくで停止させる試みだった。2025年4月、トランプ政権は中国製品に対する関税を54%まで引き上げ、技術戦争をさらに激化させた。

状況が変わったのは4月4日だった。中国が重要な対抗策を発動した。7種類の重レアアース(希土類元素)に対する輸出管理を導入したのだ。中国は世界のレアアース採掘の約70%、精製・加工の90%以上を支配している。これらの鉱物は、EVモーター、防衛システム、電子機器に使用される高性能磁石に不可欠である。

影響は即座に現れた。フォードなどの米自動車工場が生産停止に追い込まれ、深刻な供給網の混乱が発生した。これが米国の政策転換を促す決定的な要因となった。

Nvidia4兆ドル達成の背景

この地政学的緊張の中で、Nvidiaは7月9日に史上初の時価総額4兆ドルを達成した。株価は164.42ドルの史上最高値を記録し、MicrosoftやAppleを抜いて世界で最も価値のある企業となった。この評価額は英国、フランス、カナダといった主要国の名目GDPを上回る規模である。

同社の業績を支えているのは、データセンター向けGPU売上の爆発的成長だ。2026年度第1四半期(2025年4月期)の売上高は前年同期比69%増の441億ドルに達し、純利益率はハードウェア企業としては異例の50%超を記録した。H100やH200といった次世代AIチップの圧倒的な性能優位性が、この成長を牽引している。

Nvidiaの真の支配力の源泉は、独自のソフトウェアエコシステム「CUDA」にある。CUDAは事実上「見えざるAIのオペレーティングシステム」として機能し、ChatGPTを含む主要な基盤AIモデルの80%以上がCUDA環境でトレーニングされている。この巨大なネットワーク効果が、同社の市場支配を揺るぎないものにしている。

H20チップをめぐる政策転換

2025年4月9日、米国商務省産業安全保障局(BIS)はNvidiaに対し、H20チップの中国への輸出を事実上禁止する書簡を送付した。H20は米国の輸出規制に準拠するために中国市場向けに特別に設計されたデータセンターGPUで、H100と比較して演算性能を大幅に制限していた。

しかし、このチップの真の能力は単なる「ダウングレード版」を超えていた。H20はメモリ容量96GB(H100は80GB)、メモリ帯域幅4.0TB/s(H100は3.35TB/s)を搭載し、特定の推論タスクにおいてはH100の性能を上回ることさえあった。AI推論に最適化された設計により、中国のAI開発には十分すぎる性能を提供していたのだ。

7月2日から14日にかけて状況は大きく転換した。ジェンスン・フアンCEOとトランプ大統領の会談を経て、米国政府はNvidiaに対しH20チップの輸出ライセンス許可を保証した。ハワード・ルットニック商務長官は、この販売許可がレアアースの出荷再開をめぐる交渉の一環であったことを明確に認めている。

米国内の意見対立

このH20チップの輸出再開をめぐり、米国内では意見が真っ二つに割れた。共和・民主両党の元政権高官を含む20名の国家安全保障専門家グループは、ルットニック商務長官に書簡を送り、この決定を「戦略的失策」と断じた。

反対派の主な主張は以下の通りだ。H20は時代遅れのチップではなく、特に推論において中国の最先端AI能力を「強力に加速させる」ものである。これらのチップは必然的に中国人民解放軍によって軍事利用される。中国への販売は、米国の開発者向けのチップ供給ボトルネックを悪化させる。

一方、トランプ政権とNvidiaは、この決定がレアアースをめぐる幅広な貿易交渉の一部であり、米国のエコシステム支配を維持するための意図的な戦略であると反論した。彼らの見解では、販売を完全に阻止すれば、中国がファーウェイのAscendチップのような国内代替品の開発を加速させるだけであり、結果的に米国は市場と影響力の両方を失うことになる。

戦略的依存への政策転換

米国のH20チップに関する政策転換は、対中技術戦略の根本的なシフトを示している。当初の「現状凍結」政策から「戦略的依存」戦略への移行である。ルットニック商務長官が「中国の開発者が米国の技術スタックに依存し続けるように、十分な量を売る」と述べたように、新しい政策はより巧妙である。

この戦略には複数の狙いがある。H20のような制限付きチップの販売を許可することで、Nvidiaには次世代研究開発の資金となる収益をもたらし、中国の開発者をCUDAエコシステムにロックインし続け、ファーウェイのAscendのような国産代替品への投資インセンティブを削ぐことである。

実際、2025年7月時点で中国におけるハイエンドNvidiaチップへの需要は依然として高く、直近3ヶ月間で少なくとも10億ドル相当の禁止された先端チップが密輸されたという報告もある。深圳では禁止されているH100やA100 GPUの修理ビジネスが活況を呈しており、一社あたり月間最大500個のチップを修理している。

今後の展望と市場への影響

BKK IT Newsとしては、この政策転換が米中技術戦争の新たな段階を示すものと見ている。今後2-3年間はNvidiaの技術的優位が継続する可能性が高い。Nvidiaは既に30万個のH20チップのTSMCへの追加発注を行っており、中国市場での需要が予想以上に強いことを示している。

中長期的には以下の変化が予想される。競合他社の技術追い上げ、顧客の内製化進展、中国市場での国産チップ普及、新たな技術パラダイムの出現などだ。米国の軍事技術先進性維持への懸念もある。

重要なのは、米国が早ければ2025年9月にも中国へのチップ密輸の迂回拠点として利用されるのを防ぐため、タイやマレーシアへの輸出管理を強化することを検討している点だ。これにより、タイの正当な産業やデータセンター向けのサプライチェーンが混乱する可能性がある。

企業が取るべき対応策

企業はこの地政学的変化を機会とリスクの両方の観点から評価する必要がある。まず、技術サプライチェーンの多数化が重要だ。単一のベンダーへの過度な依存を避け、米国、中国以外のプレイヤーとの技術的パートナーシップを多数化することでリスクを分散できる。

第二に、地政学リスク管理の強化が必要だ。規制環境の変化に柔軟に対応する能力が事業継続に不可欠である。H20チップ開発に見られるように、規制環境の変化に柔軟に対応する能力が事業継続に不可欠である。

第三に、AI技術への投資と人材育成を加速させることだ。Nvidiaの成功事例が示すように、新興技術分野での早期ポジション確立の重要性が明らかになっている。ハードウェアの性能だけでなく、使いやすさが市場支配力を決定する現実を踏まえた戦略が求められる。

米国AIチップ輸出規制でタイに暗雲 – 日系企業への影響と対応策分析の記事でも触れたように、このような地政学的変化は企業活動に直接的な影響を与える。

最後に、通常のビジネス活動でも地政学的配慮が必要になっている。Nvidiaの4兆ドル企業への成長とH20チップ輸出再開は、企業利益と国家利益の境界線が曖昧になっている現実を示している。AI時代の企業経営において、技術力と戦略的柔軟性の組み合わせが競争優位の鍵を握っている。

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