2024年5月のGoogleによるAIオーバービュー(AI Overviews、AIO)の本格導入は、デジタルパブリッシング業界に地殻変動をもたらしている。この変化は、単なる検索機能のアップデートではない。30年間続いた「無料データ収集」時代の終焉であり、ウェブメディアの生存を左右する転換点である。
ゼロクリック検索の破壊力
AIOは、ユーザーの検索クエリに対し、AIが複数のウェブサイトから情報を統合・要約し、検索結果ページの最上部に完成された回答を表示する。ユーザーはもはや青いリンクをクリックする必要がない。この「ゼロクリック検索」が、ウェブエコシステムの根幹を揺るがしている。
Pew Research Centerの調査によると、AIOが表示されない検索ページでは15%の確率でオーガニック検索リンクがクリックされていた。しかし、AIOが表示されるページでは、その数値はわずか8%に半減した。さらに衝撃的なのは、AIO内の引用元リンクがクリックされることは極めて稀で、全訪問のわずか1%でしか発生しないことだ。
収益モデルの崩壊
この変化は、パブリッシャーの収益基盤を直撃している。英国の大手ニュースサイトMail Onlineは、自社が検索1位を獲得しているキーワードにおいて、AIOが表示されるとクリックスルー率がデスクトップで56.1%、モバイルで48.2%も急落したと報告した。
教育テクノロジー企業Cheggは特に深刻で、2025年1月には非サブスクライバーからのトラフィックが前年同月比で49%も激減した。これは、AIOがCheggのコンテンツを利用して学生の質問に直接答えてしまうためだ。
試算によると、AIOによってパブリッシャー業界全体で年間20億ドルの広告収益が失われる可能性がある。中規模のパブリッシャーにとっては、Googleからのトラフィック減少だけで40%以上の収益減に直面するリスクが指摘されている。
Googleの論理と現実の乖離
一方、Googleは「AIOはより価値の高いトラフィックを送る」と主張している。AIO経由のクリックは質が高く、検索利用も10%以上増加したとしている。しかし、この主張は独立した調査データと著しく乖離している。
決定的な矛盾は、パブリッシャーが収益減に苦しむ一方で、Googleの検索事業が前年同期比12%増という高い収益成長を報告していることだ。Googleは、AIOの要約内やその直上・直下に広告を配置することで、かつてパブリッシャーのウェブサイト上で発生していた収益機会を自社の検索結果ページへ移転させている。
必然だった変化
AIOの登場は突然の出来事ではない。Googleは過去10年以上にわたり、フィーチャード・スニペットやナレッジパネルなど、検索結果ページを「答えそのものを提供するページ」へと進化させてきた。AIOは、この進化の最終形態である。
さらに、2022年末のChatGPTの爆発的普及と、PerplexityのようなAI検索サービスの台頭が、Googleに防衛的な製品投入を促した。市場シェアの防衛を優先し、エコシステムへの配慮は後回しにされた結果、パブリッシャーが巻き添え被害を受けることになった。
法的対抗措置の動き
この状況に対し、パブリッシャーは法的手段に訴え始めている。Cheggは、Googleの行為が独占的地位の濫用であり、知的財産権の侵害であるとして反トラスト法違反で提訴した。
欧州でも、Independent Publishers AllianceやFoxgloveなどが欧州委員会に独占禁止法違反の申し立てを行った。彼らは、パブリッシャーがAIOへのコンテンツ利用を、従来の検索ランキングで不利益を被ることなく拒否できる「オプトアウト権」の設置を求めている。
企業の生存戦略
この激変する環境で生存するには、多角的なアプローチが不可欠だ。
回答エンジン最適化(AEO)への転換が急務である。明確で引用可能な回答を記事冒頭に配置し、機械が読みやすい構造にする。FAQやHowToなどの構造化データを実装し、AIがコンテンツの意味を正確に理解できるようにする必要がある。
しかし、最も重要なのはGoogle依存からの脱却だ。ニュースレターによる読者との直接的関係構築、ソーシャルメディアでのコミュニティ育成、サブスクリプションモデルの導入が求められる。検索トラフィックから直接的なオーディエンス構築への戦略転換が生存の鍵となる。
一部の大手メディアは、AIとの協調路線を選択している。News CorpとOpenAIの5年間2億5,000万ドル以上の契約は、その象徴的事例だ。しかし、この道は巨大なブランド力を持つ限られたプレイヤーにしか開かれていない。
タイ企業への示唆
タイのデジタルメディア業界は、この変化を他人事として捉えてはならない。AIOの影響は英語圏に留まらず、多言語展開が進んでいる。タイ語コンテンツも同様の影響を受ける可能性が高い。
BKK IT Newsとしては、タイ企業が今こそデジタル戦略の根本的見直しを行うべき時期だと考える。検索エンジンに依存したマーケティングから、顧客との直接的関係構築への転換が急務だ。
ウェブメディアの危機は、同時に新たな機会でもある。変化に適応し、価値を再定義できた企業のみが、次の時代を勝ち抜くことができるだろう。
参考記事リンク
- Google Sued By Chegg Over AI Overviews For Hurting Traffic – SEO Roundtable
- Do people click on links in Google AI summaries? – Pew Research
- Google AI Overviews leads to dramatic reduction in clickthroughs for Mail Online – Press Gazette
- Publishers File EU Antitrust Complaint on Google’s AI Overviews – PYMNTS
- News Corp and OpenAI Sign Landmark Multi-Year Global Partnership – News Corp