クラウド戦争の最前線 ~欧州敗北の教訓から読み解くタイのデジタル独立戦略~

クラウド戦争の最前線 ~欧州敗北の教訓から読み解くタイのデジタル独立戦略~ IT
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欧州のクラウド市場で起きている劇的な変化が、タイの企業に重要な戦略的示唆を与えている。AWS、Microsoft Azure、Google Cloudの米国3社が欧州市場の70%を席巻し、圧倒的な市場支配を確立した。欧州の地元事業者は2017年の29%から2022年には15%まで市場シェアを失った。この欧州の事例を見る限り、タイでも同様に米国系クラウドが市場を制する可能性が極めて高い。Thailand 4.0を推進するタイ企業にとって、この流れに乗ることがビジネス成功の鍵となる。

欧州クラウド市場の構造的変化

欧州のクラウドインフラ市場は2024年に610億ユーロという巨大規模に達した。しかし、この成長の恩恵を受けているのは米国のハイパースケーラーだ。Synergy Research Groupの調査によると、AWS、Microsoft、Googleの3社が合計70%の市場シェアを占有している。

この圧倒的な支配的地位の背景には、米国ハイパースケーラーの桁違いの投資力がある。四半期ごとに約100億ユーロという巨額の設備投資を継続し、欧州全域で140を超えるハイパースケールデータセンターを運営している。この規模の投資により実現される低遅延と高い回復力は、どの地元事業者も真似できない競争優位性となっている。

欧州の地元事業者も決して手をこまねいていたわけではない。2017年から2024年にかけて収益は3倍以上に増加した。しかし、市場全体が6倍に成長したため、相対的な地位は大幅に低下した。ドイツのSAPやDeutsche Telekomでさえ、それぞれ欧州市場でわずか2%のシェアしか持たない。これは資金力の差が決定的要因であることを如実に示している。

先行者利益とAI革命の追い風

米国企業の支配には歴史的な先行者利益がある。Amazonは2002年にAWSを設立し、2006年にはS3やEC2を開始した。Microsoftは2008年にAzure、Googleは同年にApp Engineを発表している。「列車は何年も前に駅を出発したが、その列車に欧州企業は乗っていなかった」とアナリストは指摘する。

近年の生成AIブームは、この支配をさらに強化している。AIは市場成長の少なくとも半分を牽引しており、GPUaaSやGenAI PaaSといった生成AI特化型サービスは140%から160%の驚異的な成長率を記録している。大規模なAIモデルの実行には膨大な計算能力が必要で、これを提供できるのはハイパースケーラーのみだ。

欧州の「デジタル主権」戦略と米国企業の適応力

欧州は一般データ保護規則(GDPR)やGaia-Xプロジェクトを通じて「デジタル主権」の確立を目指した。背景には、EUのGDPRと米国のCLOUD法との法的対立がある。CLOUD法は米国の法執行機関が、データの保存場所に関わらず米国企業への提供を強制する権限を与えており、GDPRとの直接的な衝突を生んでいる。

しかし、米国ハイパースケーラーの適応力は見事だった。欧州の規制要求に対し、独自の「ソブリンクラウド」ソリューションで対応したのだ。AWSは欧州ソブリンクラウドに78億ユーロの投資を発表し、GoogleはフランスのThalesと提携している。

この戦略により、欧州の顧客は米国企業の圧倒的な技術力と規模を享受しつつ、主権とコンプライアンスの要求も満たすことができるようになった。ハイパースケーラーは「デジタル主権」を地政学的問題から技術的・コンプライアンス的機能へと巧妙に再定義し、規制の壁すら商機に変えてしまった。これこそがグローバル企業の真骨頂といえる。

タイの現状:並行する軌道

タイのクラウド市場構造は欧州と酷似している。AWSとMicrosoft Azureが市場を支配し、2020年時点で両社を合わせた市場シェアは65%に達している。Google Cloudもバンコクに新クラウドリージョンを開設するなど存在感を増している。

欧州との決定的な違いは、中国のHuawei Cloudが18%のシェアを獲得していることだ。Huaweiは政府のイニシアチブとの連携やエンドツーエンドのソリューション提供を武器に市場浸透を図っている。

一方、True IDC、CAT Telecom(現National Telecom)、AISといったタイの地元プロバイダーは合計約12%という小さなシェアに留まっている。彼らの多くは、欧州の事業者と同様に、グローバル企業のパートナーや再販業者としての役割を担っているのが実情だ。

タイの主要企業は既にグローバルクラウドへの依存を深めている。Siam Commercial Bank(SCB)は地域初となるデータウェアハウスのMicrosoft Azure移行を実現した。CP Groupは傘下のTrue IDCを通じてAI対応ハイパースケールデータセンターの構築に向け、グローバル企業との提携を拡大している。PTT Global Chemical(PTTGC)はMicrosoft Azure OpenAIとCopilotを導入し、中核業務にクラウドサービスを深く統合している。

地政学的力学とHuaweiの戦略

タイには欧州にない特殊な地政学的力学が存在する。Huaweiの成功は他とは一線を画す戦略に基づいている。「クラウドファースト」政策や電子政府クラウドなど、タイ政府の主要イニシアチブで広範な提携関係を築いている。現地データセンターや5Gインフラへの多額投資、数万人の現地デジタル人材育成の約束など、大きなソフトパワーを構築している。

過去にデータセンター投資が牽引、2025年上半期1兆600億バーツでタイ投資が過去最高を記録で詳述したように、中国企業を含む海外投資家がタイのデータセンター市場に大規模投資を行っている。

ただし、中国系クラウドサービス利用時には中国の国家情報法への注意が必要だ。同法は中国企業に対し、国家安全保障を理由とした情報提供義務を課している。企業は機密性の高いデータの取り扱いについて慎重な判断が求められる。

この状況はタイに一定の交渉力を与え、米国と中国のプロバイダーを天秤にかけることを可能にしている。しかし同時に、タイを米中技術覇権争いの中心に置くことにもなる。

データ主権の現実的アプローチ

タイの個人データ保護法(PDPA)は2022年に施行され、EUのGDPRに強く影響されている。重要なのは、個人データ保護委員会(PDPC)による現実的な解釈だ。第三者がアクセスできない限り、海外クラウドサーバーへのデータ保管は「移転」とは見なされず、最も厳格な越境移転規則の対象外となることが明確化された。

この解釈は、厳格すぎるローカライゼーション規則でクラウド導入を妨げるよりも、むしろそれを可能にしようとする意図を示している。「インフラ主権」よりも「規制上の主権」を優先する戦略といえる。

勝ち組戦略:米国クラウドの波に乗る

BKK IT Newsとしては、タイ企業が最大の成果を上げる道筋として、以下の戦略的アプローチを提言する。

政策レベルでは、現実的でコスト効率の高い「規制上の主権」アプローチを継続することが賢明だ。データの保存場所に関わらずタイの法律を適用する枠組みを維持し、米国ハイパースケーラーの圧倒的な技術力とインフラ投資の恩恵を最大限活用すべきだ。

企業レベルでは、米国系クラウドの圧倒的な投資力を自社のビジネス成長に直結させることが勝利の方程式だ。AWS、Microsoft、Googleが提供する最先端のAIサービス、データ分析ツール、グローバルインフラを積極的に活用し、競合他社に先んじてデジタル変革を実現すべきだ。AWS、タイ中小企業に「クラウドファースト」を提言で報告したように、AWSは特に中小企業向けの支援を強化している。

無理にローカルクラウドにこだわるのは、今後の未来には合わない戦略だ。欧州の事例が証明するように、地元プロバイダーは資金力で太刀打ちできない。ただし、企業のクラウド選定戦略:マルチクラウドの隠れたリスクとシングル・プライマリ戦略の優位性で分析したように、複雑すぎるマルチクラウド戦略も避けるべきだ。むしろ、米国と中国の主要プロバイダー間の競争を巧みに利用し、より良い価格とサービスレベルを引き出すことに注力すべきだ。

最重要課題は人材への投資だ。米国および中国の全クラウドプロバイダーが提供する無料・有料の認定プログラムを最大限活用し、AI、データサイエンス、クラウドアーキテクチャの専門人材を大量育成する必要がある。

長いものには巻かれろ戦略の勝利

タイ企業にとっての最適解は、独自インフラの構築という非現実的な目標ではなく、米国ハイパースケーラーの圧倒的な力を最大限活用することにある。AWS、Azure、Google Cloud、そしてHuawei Cloudが提供する最先端技術とグローバルインフラを巧みに使い分ける能力こそが、タイ企業が磨くべき最も価値の高いスキルだ。

この「長いものには巻かれろ」戦略は、決して消極的な選択ではない。むしろ、四半期100億ユーロという桁違いの投資を続けるハイパースケーラーの技術革新を、自社のビジネス成長エンジンとして活用する積極的な戦略だ。欧州企業が痛い目に遭いながら学んだ教訓を、タイ企業は最初から取り入れることができる。

欧州の事例は明確なメッセージを発している。地元プロバイダーに固執する企業は市場の主流から取り残される。一方、グローバルハイパースケーラーの波に乗った企業は、最新のAI技術、データ分析ツール、グローバル展開基盤を手に入れ、競合他社を大きく引き離すことができる。

重要なのは、理想的な「完全独立」ではなく、現実的な「戦略的活用」である。デジタル時代の真の勝者とは、最強のパートナーを選び、その力を自社の成長に最大限転換できる企業にほかならない。

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