タイ空港公社(AOT)とキングパワー・デューティーフリー(KPD)の間で、5つの主要空港における免税店コンセッション契約を巡る重要な交渉が進行している。当初は契約終了も示唆されたが、現在は事業継続を前提とした条件改定に向けた再交渉が主眼となっている。背景には、COVID-19パンデミックや地政学的紛争、中国人観光客の減少など、予測困難な外部要因が複合的に作用している。
契約の背景と現状
キングパワーは2019年に落札した3つの主要コンセッション契約を保有している。スワンナプーム空港の免税店事業(初年度最低保証金154.1億バーツ)、地方空港の免税店事業(同23.3億バーツ)、スワンナプーム空港内商業管理(同57.9億バーツ)で、契約期間は2020年9月から2031年3月まで。さらに、ドンムアン空港のコンセッション(MAG15億バーツ、2022年10月から2036年3月まで)も運営している。
これらの契約は10年以上の長期にわたり、固定の最低保証金(MAG)制度を採用している。しかし、パンデミック期間中には旅客数がゼロになるなど、当初の想定を大幅に下回る事態が続いた。AOTは救済措置として、MAGの算定方法を旅客1人あたりの料金に変更したほか、キングパワーには2024年9月から2025年6月まで最低保証金の支払い猶予を認めている。
キングパワーの「不可抗力」主張
キングパワーが契約再交渉を求める根拠として、制御不能な外部要因を「不可抗力」として主張している。具体的には、世界経済の低迷、COVID-19パンデミックの継続的影響、進行中の紛争や貿易戦争、中国人観光客の予想以上の減少と安全保障上の懸念が挙げられている。
特に注目すべきは、政府政策やAOT自身の措置も影響要因として含まれている点だ。2024年8月1日から施行された到着免税店の営業停止、2024年2月14日のワイン製品減税、AOTによる約491平方メートルの商業スペース返還要求(2024年7月1日以降)などが、収益計算に不公平な影響を与えているとしている。
キングパワーは、これらの複合的要因により継続的な損失が発生し、当初の支払い構造が持続不可能になったと主張。現在の契約条件での事業継続は困難との立場を示している。
AOTの戦略的対応
AOTは契約の全面終了には否定的で、利益配分の削減を「適切な妥協点」と見なしている。スラヤ・ジュアンルンルアンキット副首相兼運輸大臣の指示により、国家および政府の利益保護を最優先に対応を進めている。
6月16日のAOT取締役会では、問題解決のための作業部会設置が決議された。公立高等教育機関からコンサルタントサービスを調達し、法的、経済的、財政的、事業管理上の問題を考慮した詳細調査を60日以内(8月まで)に実施する予定だ。
AOTは自社の「堅固な財務安定性」と「十分な流動性」を強調し、キングパワーとの契約問題が財務安定性に影響を与えることはないと表明している。また、契約修正には2019年の合弁事業法に基づく閣議承認は不要と明言し、交渉プロセスの簡素化を図っている。
財務的影響と市場の反応
キングパワーのコンセッションはAOTの総収益の約17%を占める重要な収益源だ。キングパワーからの賃貸料は年間約30億バーツに上り、AOTの年間財務義務の約33%に相当する。
キングパワーは2025年7月以降、月間免税店売上の20%をコンセッション料として支払う暫定的な支払いモデルを提案している。これは以前の旅客1人あたりMAGに基づく約30%の収益分配率からの削減となる。この条件下では、AOTの免税店収益は年間最大53億バーツ減少する可能性がある。
市場はこの問題を深刻に受け止めており、AOTの株式は2025年に大幅下落し、MSCIアジア太平洋指数で最大の損失銘柄となった。DBS銀行はAOTの目標株価を45バーツから28バーツに引き下げ、メイバンク証券も36.50バーツから33.50バーツに下方修正している。
交渉を左右する人事異動
注目すべき動きとして、元AOTの最高経営責任者(2015-2023年の2期8年間)であるニティナイ・シリサマトカーン氏が、6月4日にキングパワーの新CEOに就任した。この「天下り」とも言える人事は、交渉に独特の力学をもたらしている。
ニティナイ氏のAOTでの豊富な経験と内部知識は、キングパワーにとって大きなアドバンテージとなる。AOTの制約や優先事項を熟知する彼の存在により、交渉プロセスは大幅に加速され、相互に利益のある解決策が見出される可能性が高まっている。
今後の展望
両当事者の意向、契約上の不可抗力条項の存在、そして新CEOの就任を考慮すると、全面的な契約終了よりも再交渉による解決が最も現実的な道筋と見られる。キングパワーが45日以内の交渉完了を求める一方、AOTの外部調査は60日以内に完了予定で、8月頃には具体的な方向性が見えてくる見込みだ。
最も可能性の高いシナリオは、固定MAGから売上連動型(売上の20%程度)への移行を含む契約条件の改定だ。これにより、市場変動に対する柔軟性が確保され、両者にとってより持続可能な事業モデルが構築される。
この紛争の解決は、タイの免税市場を大きく再構築することになるだろう。同時に、長期コンセッション契約における予期せぬ外部ショックへの対応策として、より動的なリスク分担メカニズムの必要性を示す先例となる。パンデミック後の「新常態」において、官民パートナーシップのあり方そのものが問い直されている。