タイの通信大手Advanced Info Service(AIS)がサイアムスクエアの中心地に新拠点「AIS SIAM」を開設した。この4階建ての施設は、従来の店舗型サービスを超え、「目的のあるプレイハウス」として次世代クリエイター層「Generation C」の取り込みを狙う戦略的な投資だ。競合のTrue Corporationが先行展開する若者向けハブに対抗し、最新のWi-Fi 7技術と創造的コミュニティ空間を武器に、通信業界の競争軸を価格からエクスペリエンスへと転換させる重要な一手となっている。
通信業界の競争激化が背景
AIS SIAMの設立背景には、タイ通信業界の構造変化がある。AISは2020年初頭に全国規模の5Gネットワークを業界で初めて開始し、Triple T Broadband買収により統合事業体「AIS/3BB Fibre3」として490万人の加入者を獲得した。5Gカバー率95%、4Gカバー率98%という圧倒的なネットワーク優位性を確立している。
しかし、True CorporationとdtacがTrue Corporation Groupとして合併し、加入者数で新たな市場リーダーが誕生。AISは規模以外の要素での差別化を迫られることになった。この状況下で、競合のTrueが3億バーツを投じてSiam Discovery内に「True 5G PRO HUB」を先行開設。ゲーミングとeスポーツに特化したハブで若者層の獲得を図っていた。
AISの戦略転換は、単なる通信サービス提供から「Cognitive Tech-Co(認知技術企業)」への進化を目指すものだ。ネットワーク速度や価格設定での競争から脱却し、データ分析、AI、自動化技術を活用したプロアクティブでパーソナライズされた体験の提供を目指している。
4階建て戦略ファネルの巧妙な設計
AIS SIAMの物理的設計は、カジュアルな接触からプロフェッショナルな創造活動へとユーザーを導く戦略的ジャーニーマップとして機能する。
1階の「CAFE & EXPERIENCE SPACE」は、誰もが気軽に立ち寄れるカフェと最新ガジェットの体験ゾーンとして機能する。スペシャルティコーヒーロースター(BEANS)との提携により、真正性のあるライフスタイル空間を演出している。
2階の「CO-PLAYING SPACE」では、PS5やNintendo Switchなどの家庭用ゲーム機、ボードゲームを通じた共有体験に焦点を当てている。「プレイハウス」というコンセプトに沿い、コミュニティ意識の育成を図る設計だ。
3階「AIS SIAM HYPE SPACE」は、音楽レーベルのTADA Entertainmentなどパートナーとの連携により、ワークショップやトレーニング、共同活動を行う柔軟なスペースとなっている。単なるコンテンツ消費から積極的なスキル構築への移行を促している。
最上階4階の「AIS SIAM STUDIO」は、本格的なプロ仕様スタジオとして、選ばれたクリエイター向けのエンパワーメント空間として位置づけられている。この階層的設計により、ユーザーの関与度を段階的に深化させる仕組みを構築している。
Wi-Fi 7とクリエイター支援の技術戦略
AIS SIAMの核となる価値提案は、最先端の接続技術の提供にある。AIS 5Gに加え、決定的に重要な最新規格Wi-Fi 7を完備している。Wi-Fi 7がもたらす超高速スループット(最大46Gbps)、遅延削減のマルチリンクオペレーション(MLO)、より広いチャネル幅は、高解像度ライブストリーミングや大容量動画ファイルの迅速なアップロード、シームレスなAR/VR開発といったクリエイターの具体的課題への直接的解決策となる。
チュラロンコン大学資産管理事務局(PMCU)とのパートナーシップも戦略的な意味を持つ。PMCUは所有地を単なる商業利用から、イノベーション促進とコミュニティ貢献空間への進化を掲げており、AIS SIAMはこのビジョンに完璧に合致している。官(国家戦略)・民(AIS)・学(チュラロンコン大学)の三者連携モデルは、企業主導イニシアチブを超えた強靭性と影響力を持つ。
Somchai Lertsutiwong最高経営責任者(CEO)は、この施設が創造性、コミュニティ、自己表現のハブとなることを目指し、投資回収よりも「情熱を目標に変える場」であることを強調している。この発言は、Generation C層の価値観に直接訴えかけるメッセージとして機能している。
国家戦略との連携による長期的影響
AIS SIAMの意義は、企業戦略を超えてタイの国家政策と深く連携している点にある。このプロジェクトは、デジタル経済、イノベーション、人的資本開発を重視する「タイランド4.0」戦略を具体化した取り組みだ。民間資金により国家戦略の3つの柱すべてを直接推進する目に見える形の投資となっている。
タイ政府が推進する「ソフトパワー」戦略においても重要な役割を果たす。T-POP、BLシリーズ、ファッションといったメディアを通じた文化輸出を核とする戦略において、AIS SIAMはスタジオとクリエイティブハブを提供することで、このソフトパワーの原動力であるクリエイターを直接支援する。タイのエンターテインメントコンテンツの国際市場は急成長しており、クリエイター経済の市場規模は450億バーツと評価されている。
AISは15年前から国家レベルのスタートアップ支援プログラム「AIS The StartUp」を運営し、100社以上のスタートアップを支援してきた実績を持つ。近年では、タイ産業連盟(FTI)と提携した「AIS Infinite SMEs」プログラムも展開している。このような長年にわたるエコシステムへの貢献により、AIS SIAMが表層的マーケティング施策ではなく、真正性をもって受け入れられる社会的資本を築いている。
BKK IT Newsとしての今後予想
タイのデジタル人材不足は深刻な課題となっており、年間3.3兆バーツの経済損失が発生している。AIS SIAMのような施設は、実践的学習とプロ用ツールに焦点を当てることで、非公式な職業訓練センターとして機能し、このギャップを埋める可能性がある。多くのクリエイターがプロ仕様機材や超高速インターネットへのアクセスに恵まれていない中、AIS SIAMはこのインフラを公共財として提供し、質の高いコンテンツ制作への参入障壁を下げることができる。
競合のTrue 5G PRO HUBがゲーミングとeスポーツに特化しているのに対し、AIS SIAMはより広範な「クリエイティブライフスタイル」をコンセプトに掲げている。この差別化戦略により、より大きな市場セグメントの獲得が期待される。
日系企業が注目すべきポイント
タイでビジネスを展開する日系企業にとって、AIS SIAMは重要な意味を持つ。タイの若年層市場へのアプローチ手法の変化を示すケーススタディとして参考になる。従来の価格訴求型マーケティングから、体験価値とコミュニティ形成を重視したアプローチへの転換が明確に示されている。
また、Generation C層の特性理解も重要だ。彼らは真正性を求め、自己表現を重視し、ブランドが社会的変化のパートナーであることを期待する。購買行動を自己アイデンティティの延長と見なし、価値と長期的計画を重視する経済観念を持つ。
タイ政府のクラウドファースト政策とデジタル経済推進により、今後も類似の官民学連携プロジェクトが増加する可能性が高い。日系企業も、単なる商業施設運営を超えた社会貢献型ビジネスモデルの検討が求められる時代に入っている。
参考記事
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AIS SIAM aims to harness Generation C – Bangkok Post
https://www.bangkokpost.com/business/general/3074636/ais-siam-aims-to-harness-generation-c -
Business and Performance – Advanced Info Service Public Company Limited – AIS
https://investor.ais.co.th/misc/ar/2023/20240223-advanc-ar2023-02-en.pdf -
AIS Thailand transforms from telco to “Cognitive Tech-Co” – TM Forum Inform
https://inform.tmforum.org/research-and-analysis/case-studies/ais-thailands-journey-from-telco-to-cognitive-tech-co -
True5G PRO HUB, figurative spacecraft for the future, launches to answer all lifestyles and interests of the new generation – Siam Piwat
https://www.siampiwat.com/en/news/224 -
Thailand 4.0 strategy | Digital Watch Observatory
https://dig.watch/resource/thailand-4-0-strategy