米国がH20チップ輸出方針を急転換 ~3ヶ月で中国禁止措置を撤回、タイ製造業への影響は?~

米国がH20チップ輸出方針を急転換 ~3ヶ月で中国禁止措置を撤回、タイ製造業への影響は?~ IT
ITタイ製造業

米国トランプ政権が2025年7月、高性能AIチップ「H20」の中国向け輸出を再び許可する方針転換を発表した。4月に安全保障上の理由で輸出を禁止したばかりの政策を、わずか3ヶ月で撤回する異例の決定となった。この劇的な政策変更の背景には、Nvidia CEOジェンスン・フアン氏による強力なロビー活動と、中国によるレアアース輸出規制への対応という複雑な地政学的要因が絡んでいる。

政策転換の背景と経緯

短期間での方針変更の異例性

米国の半導体政策は2018年以降、中国の技術発展を抑制する方向で一貫していた。しかし今回のH20チップを巡る動きは、その一貫性に疑問符を投げかける内容となっている。

2025年4月、米商務省産業安全保障局(BIS)は、安全保障上の懸念を理由にNvidiaの中国市場向けAIチップ「H20」の輸出を禁止した。H20は、より高性能なH100チップの性能を中国市場向けに調整した製品だったが、それでも軍事利用や監視システムに転用される可能性があるとして規制対象となった。

ところが7月、政府は一転してこの禁止措置を撤回した。Nvidia CEOのジェンスン・フアン氏による積極的なロビー活動が功を奏したとされる。フアン氏は「規制は中国の競合他社を強化するだけで、米国企業の競争力を損なう」と主張し、政権に対して強い圧力をかけていた。

レアアース問題との関連性

この政策変更には、中国が報復措置として発動したレアアース輸出規制が大きく影響している。中国は世界のレアアース精製の85%以上を支配しており、ガリウムやゲルマニウムなど半導体製造に不可欠な素材の輸出許可制を導入していた。

米国政府は、H20チップ輸出を再開する見返りとして、中国にレアアース規制の緩和を求めたとされる。これは純粋な安全保障政策から、より実利的な貿易交渉へのシフトを示している。

タイ製造業への複合的な影響

データセンター投資への不安定化要因

タイは現在、AWS、Google、Microsoftといった大手ハイパースケーラーから総額約3兆円規模の投資を呼び込んでいる。これらのデータセンターは、高性能AIチップへの安定したアクセスを前提としている。

米国の政策変更は、タイのデータセンター運営に新たな不確実性をもたらしている。7月に輸出が再開されても、NvidiaはTSMCに発注していたH20の生産枠を一度キャンセルしており、生産再開には数ヶ月を要する可能性が報じられている。

さらに懸念されるのは、こうした朝令暮改的な政策運営が今後も続く可能性だ。投資家は長期的な生産計画を立てることが困難になり、タイのデジタルハブ構想に対する信頼性に影響を与えかねない。

製造業サプライチェーンの分断加速

米中間の技術戦争は、タイの半導体後工程(OSAT)産業にとって機会とリスクの両面をもたらしている。

機会面では、米国企業がサプライチェーンを中国から多様化させる「チャイナ・プラスワン」戦略により、タイのダイオードやトランジスタの対米輸出が2023年初頭に前年比145%急増した。タイの既存の製造基盤が、この地政学的シフトの恩恵を受けている。

一方リスクとしては、米国がタイを中国への技術流出の経由地として警戒していることが挙げられる。米国がタイ・マレーシアへのAIチップ輸出制限を検討でも報じた通り、米国は東南アジア諸国に対して厳格な管理体制を要求している。

地政学的中立性への圧力

タイは長年、地政学的中立性を維持することで、あらゆる陣営からの投資を呼び込んできた。しかし今回のH20騒動は、この中立性に対する圧力の高まりを象徴している。

米国は「信頼できるパートナー」からなる「コンプライアンス回廊」を構築し、技術流出防止に協力する国々を優遇する方針を明確にしている。タイが今後も先端技術へのアクセスを確保するためには、単なる中立ではなく、米国の規制に積極的に同調する姿勢が求められる可能性が高い。

今後の展望と企業への提言

政策ボラティリティ対応の必要性

今回の事例が示すのは、米国の対中技術政策が安全保障のロジックだけでなく、産業界の利益や外交的取引によって左右されるということだ。BKK IT Newsの見解では、このような政策の予測不可能性は今後も続くと予想される。

企業は単一のチップ供給者に依存せず、ARMやRISC-Vといった代替アーキテクチャを検討し、複数ベンダーとの関係構築が重要になる。また、異なるハードウェアに対応できるモジュール式で柔軟な設備設計も求められる。

タイ政府の戦略的対応

タイ政府は投資委員会(BOI)の優遇措置提供を超え、国家レベルで先端技術の輸出管理と最終用途監視システムを構築する必要に迫られている。これは米国との信頼関係を築き、「信頼できるパートナー」ネットワークの一員としての地位確保に不可欠だ。

同時に、AIを追求する一方で、パワーエレクトロニクスや自動車用チップ、先端パッケージングといった政治的に敏感でない分野での強化も重要になる。

企業の実務対応

製造業者は米国系と中国系の両方のサプライチェーンにとって中立的で信頼性の高いパートナーとしての地位確立が戦略の鍵となる。自動化やスマートマニュファクチャリングへの投資を通じた効率性向上も急務だ。

投資家は全ての投資モデルに地政学的リスクを織り込み、強固なコンプライアンス体制と多様化されたサプライチェーンを持つ企業を優先すべきだ。

H20チップ騒動は、タイの製造業とデジタル戦略が米中対立の狭間で直面する現実を浮き彫りにした。技術アクセスの確保が政治的交渉の産物となった今、企業は従来以上に地政学的変動への対応力が問われている。

参考記事