日本、タイで雇用と技術を守る選択 ~Quick Big Win105%増投資、中国の市場奪取と対照~

日本、タイで雇用と技術を守る選択 ~Quick Big Win105%増投資、中国の市場奪取と対照~ タイ国際外交・貿易
タイ国際外交・貿易

2025年12月、タイ政府が打ち出した「Quick Big Win」戦略に対し、日本企業が105%増という投資急増で応えた。中国系EV企業による市場侵食が続く中、日本はハイブリッド車と半導体・電子部品分野で地歩を固め、数千社規模のサプライチェーンを維持する戦略を選択した。一方で、中国は価格破壊でシェアを奪うものの、現地化の遅れや経営危機で綻びも見せている。

Quick Big Winとは何か

タイ政府は2025年12月2日、経済停滞と政治的プレッシャーへの対応として「Quick Big Win」戦略を発表した。アヌティン政権は解散総選挙を視野に、短期的な成果と長期的な成長を同時に実現する政策パッケージを打ち出した。この戦略については以前の記事で詳しく解説したが、発表から2か月での実施状況を踏まえ、特に投資促進の側面に焦点を当てる。

この戦略で最も重要なのが「タイ・ファストパス」である。2025年11月24日の経済閣僚会議で承認されたこのメカニズムは、総額4,800億バーツ(約137億ドル)の停滞プロジェクトを動かす。投資委員会を中心に7機関が連携し、許認可プロセスを20%から50%短縮する。データセンター投資の鍵となる直接電力購入契約を2025年12月までに最終化し、BOI認定の外国人専門家へのビザ発給を1〜5営業日以内に短縮する。

日本企業の戦略的応答

日本からの投資申請額は2025年1-9月期で前年同期比105.7%増という驚異的な伸びを記録した。これは単なる数値の回復ではなく、投資内容の質的転換を示している。かつての労働集約的な組立産業から、AI、半導体、次世代自動車といった未来産業へのシフトが鮮明である。

自動車分野ではトヨタ、ホンダ、いすゞ、マツダ、三菱自動車、日産の主要6社がBOIと直接協議を行い、HEVおよびMHEVへの支援策明確化を評価した。トヨタとホンダは14.3億ドル以上の新規投資を確約し、HEV生産設備の増強や新規ラインの構築を進める。この投資は数千社に及ぶタイ国内の部品サプライヤーを保護しつつ、電動化への移行時間を稼ぐための防波堤として機能する。いすゞとトヨタはタイの農村部や物流の要であるピックアップトラックの電動化にも投資を行い、中国勢の参入障壁が高い商用車分野での守りを固めている。

エレクトロニクス分野での動きがより戦略的である。パナソニックはアユタヤ工場内に約170億円を投じ、生成AIサーバーや5G基地局に不可欠な多層基板材料「MEGTRON」の生産能力を倍増させる。ソニーセミコンダクタソリューションズは車載用イメージセンサーおよびデータセンター向けレーザーダイオードの新棟を建設し、2,000名の新規雇用を創出する。これらを中国ではなくタイで増産することは、西側諸国のAIインフラ供給網におけるタイの重要性を高める。

三井住友銀行はタイのSME向けにサプライチェーン・ファイナンスを提案した。これは日本の自動車メーカーのサプライヤー網に属するタイ企業への資金繰り支援であり、日本の産業エコシステムを維持するための金融的な防衛策である。

中国企業の電撃戦とその綻び

中国メーカーはBYD、Neta、GWM等がタイ政府のEV振興策を最大限に利用し、2024年時点で市場シェアの70%以上を掌握した。しかし、その急激な拡大には歪みも生じている。

中国系新興EVメーカーのNeta Autoは、輸入車に対する関税免除の条件である「輸入量に見合った現地生産(1:1比率)」を2024年内に達成できず、苦境に立たされた。現地生産の遅れに加え、販売不振による在庫過多、ディーラーへの支払い遅延が発生し、18社のディーラーから2億バーツ以上の未払い債務について苦情が申し立てられる事態となった。これはサプライチェーンの現地化を軽視し、完成車輸入に依存したビジネスモデルの限界を露呈させた。

BYD主導の激しい値下げ競争は、消費者の買い控えを招くと同時に、中古車価格の暴落を引き起こし、既存の自動車金融システムにストレスを与えている。価格戦争の疲弊が見え始めている。

タイが直面する構造転換の課題

Quick Big Win戦略の最大の課題は人材である。半導体やAI産業へのシフトに伴い、BOIは10万人の高度人材が必要と試算している。政府は50億バーツを拠出し、学生3万人、在職者7万人を対象としたリスキリングプログラムを開始した。しかし、従来の自動車部品工場で働いていた中高年労働者が、短期間で半導体製造やAIサプライチェーン管理に適応できるかは不透明である。

BOIは2026年を「投資の黄金年」と位置付けている。ファストパスが機能し、4,800億バーツの投資が実行されれば、GDP成長率は3%台後半から4%台へ回復する可能性がある。一方で、官僚機構の抵抗により規制緩和が骨抜きになれば、投資は書類上の数字にとどまるリスクも残る。

日本企業が示す選択肢

Quick Big Win戦略に対する日本企業の応答は、タイにとって千載一遇の好機となった。中国への過度な依存を減らし、サプライチェーンを強靭化したい日本と、産業の高度化を急ぐタイの利害が完全に一致した結果、105%増という投資急増現象が生まれた。

Neta Autoの事例が示すように、実需と乖離した性急な拡大は破綻を招く。対照的に、パナソニックやソニー、トヨタが進める着実な高付加価値化とサプライチェーンの深化は、タイ経済の持続可能な成長モデルとなる可能性が高い。

BKK IT Newsとしての見方を述べるならば、タイは今、二つの選択肢の分岐点に立っている。日本が提示するのは、雇用を創出し技術を移転する長期的なパートナーシップである。中国が示すのは、市場シェアの獲得と輸出拠点化という短期的な利益である。問題は、中国の戦略が真の意味でタイの産業基盤を強化するものではなく、グローバルサウスへの輸出拠点としてタイを位置付けるに過ぎないという点にある。

日本は雇用と技術を守るが、中国は市場を奪うだけではないか。この問いかけに対する答えが、今後数年間のタイ経済の方向性を決定する。Quick Big Winの真価は、発表された数字ではなく、今後数年間の実行力にある。タイが日中対立の緩衝地帯として繁栄するか、あるいは過剰生産の掃き溜めとなるか、その分水嶺は2026年の政策実行にかかっている。

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