タイEV政策、国内から輸出優先へ ~1.5倍ルール導入で市場構造を変える~

タイEV政策、国内から輸出優先へ ~1.5倍ルール導入で市場構造を変える~ タイ国際外交・貿易
タイ国際外交・貿易

タイのEV市場が転換点を迎えています。国内市場の供給過剰が深刻化する中、政府は輸出を優遇する新たな政策へ舵を切りました。

2025年11月25日、タイ政府の国家EV政策委員会は既存のEV振興策であるEV 3.0とEV 3.5の要件を大幅に緩和しました。最大の変更点は、輸出向け生産を国内生産義務の1.5倍としてカウントする新ルールです。この政策転換は、国内市場の供給過剰を回避しつつ、タイを右ハンドル市場向けEVの輸出拠点として位置づける戦略的な転換を意味します。

深刻化する供給過剰

タイのEV市場は2022年のEV 3.0政策導入以降、補助金と税制優遇により需要が急拡大しました。しかし2025年に入り、市場環境は一変しています。2024年半ばの時点で約49万台の未販売車両が国内に滞留し、2025年9月のBEV生産台数は前年同月比330%増に達しました。一方で新規登録台数は約1.2万台に留まり、需給ギャップが顕著になっています。

供給過剰の主因は二つあります。一つは中国系メーカーがEV 3.0の補助金を活用して大量輸入したものの、国内工場稼働前に市場が飽和状態に陥ったことです。もう一つは、メーカー各社に課された生産義務の履行時期が到来し、国内需要を超える供給が続いていることです。この状況下で、BYDやNetaなどの中国メーカーは激しい価格競争を展開し、中古車価格の暴落が社会問題化しています。

輸出ハブへの戦略転換

今回導入された「輸出1台=国内生産義務1.5台分」という新ルールは、メーカーに対する救済措置であると同時に、タイを輸出ハブとして再定義する戦略です。タイ工業連盟の試算では、この措置により2025年のEV輸出台数は約12,500台、2026年には約52,000台へと急増する見込みです。

ターゲット市場は右ハンドル市場であるオーストラリア、ニュージーランド、英国、そしてASEAN近隣諸国です。オーストラリア市場はタイにとって伝統的なピックアップトラックの輸出先であり、関税面でのメリットと物流網が既に確立しています。BYDやChanganは既にタイ製EVのオーストラリア輸出を明言しており、BYDはタイ工場から欧州への輸出も開始しています。

その他の主要な政策変更

1.5倍ルール以外にも、重要な政策変更が行われました。

EV 3.0の生産義務を期限内に履行できないメーカーに対し、未履行分を次期フェーズEV 3.5への移管が認められました。ただし、移管された生産分については補助金を受給できません。また、バッテリーセル輸入に関する特例措置は2026年6月30日まで延長されました。ただし2026年1月以降は、輸入セルの算入上限が工場出荷価格の10%となります。

さらに、事業継続が困難になったメーカーのための「リバース・エグジット」メカニズムも導入されました。メーカーは受領した物品税減免分と補助金を返還し、罰則金を支払うことで生産義務から解放されます。これは財務状況が懸念されるメーカーが市場を混乱させずに撤退できるセーフティネットとして機能します。

メーカー各社への影響

BYDはラヨーン県に年産15万台規模の工場を有し、既に自社船団を活用してタイ製EVの欧州・英国への輸出を開始しています。1.5倍ルールはBYDが抱える大量の輸入相殺義務を効率的に消化する追い風となります。MGもタイからの輸出の52%が既に欧州向けであり、今回の措置は輸出主導のビジネスモデルを強化する機会となります。

一方、Neta Autoは中国本社での流動性危機が報じられており、リバース・エグジットの導入は市場から撤退するための出口戦略となり得ます。ChanganとGWMは国内市場よりもタイをハブとしたグローバル展開に軸足を移しています。

地政学的リスクと課題

輸出ハブ戦略の最大の障壁は地政学的な貿易摩擦です。米国やEUは中国製EVに対する関税障壁を高く設定しており、タイからの輸出が「中国製部品の単なる組立」とみなされた場合、迂回輸出として制裁関税の対象となるリスクがあります。タイ国家経済社会開発評議会は、タイが米国の制裁関税の対象となるリスク(最大40%)について警鐘を鳴らしています。

現状のタイへの投資は「パック組立」工程が中心であり、付加価値の高い「セル製造」はほとんど行われていません。中国メーカーは「タイのサプライヤーはコストが高く対応が遅い」として中国からの部品輸入を希望し続けています。バッテリーの現地生産が不可欠ですが、現地サプライチェーン構築は遅れています。

また、今回の委員会決議では、ハイブリッド車への優遇措置の復活も承認されました。2028年から2032年にかけてHEVの物品税率を低減する措置です。この措置は、EV一辺倒の政策がもたらす内燃機関部品メーカーへの打撃を緩和し、トヨタやホンダといった日本メーカーの生産基盤を維持する目的があります。

企業への影響

タイ進出を検討する企業にとって、今回の政策変更は重要な示唆を与えます。タイ政府は国内市場への供給よりも輸出を優遇する姿勢を鮮明にしており、右ハンドル市場向けの生産拠点としての価値が高まっています。一方で、原産地規則への対応と現地サプライチェーン構築の遅れは引き続き課題です。

2026年以降、タイの自動車産業は選別と淘汰の時代に入ります。輸出競争力を持つメーカーはタイを拠点として成長を続ける一方、リバース・エグジットを利用して撤退するメーカーも現れるでしょう。BKK IT Newsの見方では、タイが真のEVハブとなれるかは、完成車輸出だけでなくバッテリーセルを含む基幹部品の現地化を成功させられるかにかかっています。

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