AWS、Microsoft、Googleや中国系クラウドなどグローバルIT企業のタイへのデータセンター投資が急増する中、タイの産業界がデータ主権法の整備を政府に強く要望している。データの国内保管義務やソブリンクラウドの推進を求める動きは、米中技術覇権競争の狭間でASEANのデジタルハブを目指すタイの戦略的な選択を示している。
2025年11月26日、タイの産業界リーダーたちが政府に対してデータ主権法の整備を強く要望した。この要望は、急速に拡大するクラウド事業者による投資とAI技術の普及を背景に、タイが直面する構造的な課題を浮き彫りにするものである。
産業界が求める3つの要素
バンコクで開催された「Smart City 2026」セミナーにおいて、タイ工業連盟を含むビジネスリーダーたちはデータ主権に関する法律の即時導入を政府に要請した。
第一に、タイ国民の機微な個人情報や国家の重要インフラに関連するデータについて、物理的な保管場所をタイ国内のサーバーに限定することを求めている。第二に、既存の個人情報保護法で認められている海外へのデータ移転について、より厳格な審査や制限を設けることを求めている。第三に、外国の干渉を受けないタイの法域内でのみ管理・運用されるソブリンクラウドの整備と利用促進を求めている。
投資ブームが要望の背景
この要望の背景には、2024年から2025年にかけてのハイパースケーラーによる空前の投資ブームがある。タイ投資委員会のデータによると、2025年前半だけで28件、総額5,212億バーツに上るデータセンターおよび関連プロジェクトが承認された。
AWSもバンコク・リージョンを開設し、データレジデンシー要件への対応を強化している。Microsoftは2025年11月にAzure Localを大幅拡張し、GULF、CP Groupとのローカルパートナーシップを通じてタイのデータレジデンシー要件に対応している。Googleは10億米ドルを投じてデータセンターとクラウドリージョンを建設している。ドバイ拠点のDAMAC Digitalは84MWの施設を建設し、中国系GCLとタイのGPSCは合弁会社を設立してハイパースケールデータセンターと再生可能エネルギー供給を統合するプロジェクトを進めている。
タイ政府は2025年後半に「Thailand FastPass」イニシアチブを承認した。データセンター、クリーンエネルギーなどの戦略的プロジェクトについて、承認プロセスを20〜50%短縮する仕組みである。
現行法の限界
タイでは2022年6月に個人情報保護法が完全施行され、個人データの越境移転についてルールが定められている。しかし、データローカライゼーション、つまり国内保管義務を明示的に規定していない。
2019年施行のサイバーセキュリティ法も、データの物理的保管場所については厳格な義務を課していない。産業界の要求に最も近いのが、デジタル政府開発庁が2025年に発表した政府機関向けのガイドラインである。このガイドラインは政府データを3段階に分類し、国家安全保障に関わる最重要機密についてはタイ国内の主権クラウドに保管することを義務付けている。産業界はこの政府向けルールを民間セクターにも拡張適用することを求めている。
エネルギー供給という物理的制約
データ主権を論じる上で不可欠なのが電力の問題である。AIチップを搭載したサーバーは、従来のサーバーに比べて数倍から数百倍の電力を消費する。
ハイパースケーラーは事業運営の100%再生可能エネルギー化を公約しており、投資の条件としてクリーンエネルギーへの直接アクセスを求めていた。エネルギー省とエネルギー規制委員会は2025年後半に規制緩和策を発表した。2025年12月または2026年1月から開始予定の直接電力購入契約パイロット制度により、データセンター事業者が再生可能エネルギー発電事業者から直接電力を購入できるようになる。
もしタイがクリーンエネルギーを供給できなければ、データセンターは近隣諸国に流出し、データ主権を維持することすらできなくなる。
米中技術覇権競争の中での選択
タイのデータ主権要求の深層には、激化する米中技術覇権競争がある。米国は先端半導体の中国への輸出を厳格に規制しており、ASEAN諸国が中国への迂回路として利用されることを強く警戒している。タイのデータセンターに設置されたAIチップが中国企業によってリモートで利用されるリスクがある場合、米国はタイへのチップ輸出を禁止する可能性がある。
一方で、中国のHuaweiは米国の影響力を排除したい各国のニーズを取り込み、ソブリンクラウドの概念を推進している。Huawei ThailandのChawapol社長は、米国のCLOUD法を主権侵害と位置づけ、タイのデータはタイの法律下にあるべきだと主張している。
タイ政府は米国の投資と中国の技術支援の両方を必要としている。データ主権法は、データは国内に置くが、アクセス管理とセキュリティは国際基準に準拠し、不正輸出は防ぐという高度なバランスの上に設計されようとしている。
今後の展望
短期的には、法的不確実性とコンプライアンスコストの増大が予想される。一方で、Thailand FastPassと直接電力購入契約の効果により、2026年には滞留していたデータセンタープロジェクトが一斉に着工・稼働し始め、建設業、エンジニアリング、電力関連産業に特需が生まれる。
長期的には、クラウドアーキテクト、サイバーセキュリティ専門家、AIエンジニアの需要が爆発的に高まる。政府は10万人の高度人材育成を掲げているが、教育機関との連携が追いつかなければ、深刻な人材不足に陥る可能性がある。
国内に強力な計算基盤が存在することで、産業界は低遅延でAIを利用できるようになる。これは製造業のスマートファクトリー化、農業の精密化、医療ツーリズムの高度化を促進し、タイが高付加価値経済へと転換する起爆剤となり得る。
一方で、データ主権の名の下に国家がデータへのアクセス権限を強化することは、諸刃の剣である。政府が市民のデータを監視したり、反体制的な言論を統制したりする権限が強化されるリスクがある。
BKK IT Newsは、タイ政府が外資への開放と国内への主権留保という相反するベクトルを統合する政策運営を迫られていると考える。成功すれば、タイは米中の狭間で独自の地位を築き、ASEANにおける真のデジタルハブとなるだろう。
参考記事リンク
- Thailand must adopt new laws to meet soaring AI and data centre demand, business leaders say
- Energy Minister unveils power plan to support data centre investment – Nation Thailand
- Thailand greenlights $3.1bn in hyperscale data centre investments – Capacity
- Thailand kicks off “Thailand FastPass” to speed up 80 projects, unlocking 480 billion baht
- Thailand Releases Draft Guidelines on Government Cloud Adoption and Data Classification


