タイの国営石油公社PTTが、台湾のFoxconnとのEV製造合弁事業Horizon Plusからの撤退を検討している。出資比率を60%から40%へ引き下げる決定は既に承認済みで、完全撤退の可能性も示唆されている。タイ政府が描いてきた「EVハブ」戦略の根本的な修正を迫る重大なシグナルとなっている。
出資比率の逆転と工場建設の停滞
PTTは子会社Arun Plusを通じてHorizon Plusの60%を保有していたが、この構造を逆転させ、Foxconn側が60%の過半数を握る形に変更する。2025年6月までに完了予定だ。
PTTのKongkrapan Intarajang CEOは、EV製造工場が未だ建設されていない現状を認め、「今後数年間は建設されない可能性がある」と言及した。完全撤退も選択肢に含まれていることを示唆している。
チョンブリ県のRojana Nong Yai工業団地に確保された用地では、起工式こそ実施されたものの、主要建屋の建設は停滞している。当初計画では2024年中の生産開始、2030年までに年産15万台を掲げていたが、事実上破綻している。
資産流動化プログラムの一環
PTTのEV事業縮小は、グループ全体で進められている「資産流動化プログラム」の一環だ。PTTは、2024年第4四半期から2026年末にかけて、不要不急の資産売却を通じて1,000億バーツの現金を創出する計画を明らかにしている。既に2024年の第1〜第3四半期だけで470億バーツの資産流動化を実現した。
撤退・縮小対象はEV製造にとどまらない。中国のバッテリー大手Gotion High-Techとの合弁会社「NV Gotion」の株式についても、Gotion側への売却が検討されている。
撤退で捻出された資金は、ガスパイプライン網の拡充やLNG輸入・再販事業など、PTTが伝統的に強みを持つ領域へ再配分される。
中国メーカーの自社工場建設が誤算に
2021年の設立当時、PTTとFoxconnが描いたビジネスモデルは、新興EVメーカーや海外メーカーの受け皿となる「プラットフォーマー」としての役割だった。しかし、その後の市場環境は激変した。
最大の誤算は、顧客として想定していた中国の大手EVメーカーたちが、Foxconnに製造を委託するのではなく、自ら巨額の投資を行ってタイ国内に自社工場を建設したことだ。
BYDはラヨーン県に工場を建設し、着工から16ヶ月で完工させた。年産能力は15万台に達する。長安汽車も100億バーツを投じて工場を建設し、2025年初頭からの生産開始を予定している。長城汽車、上海汽車、GAC AIONなども同様に自社工場稼働または建設中だ。Horizon Plusのような受託製造を利用する動機が完全に消滅した。
中国国内での過当競争から逃れるようにタイへ進出した各社は、タイ市場でも激しい価格競争を展開している。EVの利益率は極めて薄く、受託製造業者に委託料を支払うマージンは残されていない。
Neta Autoの経営危機が示す教訓
PTTの撤退決断のトリガーの一つとして、中国の新興EVメーカー「Neta Auto」が直面している深刻な経営危機がある。
Neta Autoは低価格EV「Neta V」を武器にタイ市場へ参入し、2023年には約20%のシェアを獲得した。タイのBangchan General Assemblyと提携し、委託生産を行っていた。これはHorizon Plusが目指していたビジネスモデルの先行事例だった。
しかし、2024年に入り、Netaの中国親会社の資金繰り悪化、IPOの遅延、破産申請の噂が飛び交う事態となった。タイ財務省物品税局からの情報によると、Bangchan工場での生産が一時停止状態に陥り、約束された台数を生産できなければ、巨額の違約金と補助金の返還を求められることになる。
「自社工場を持たない新興メーカー」を顧客とする受託製造モデルは、顧客側の経営基盤が脆弱であれば、工場への投資回収が不可能になるばかりか、製造責任や法的リスクに巻き込まれる可能性がある。
タイ自動車産業への衝撃
PTTの撤退検討と中国メーカーの台頭は、タイの自動車産業エコシステム、特に部品サプライヤーにとって存亡の危機をもたらしている。
中国メーカーは、バッテリー、モーター、制御チップに至るまで、中国本土のサプライチェーンをそのままタイに持ち込んでいる。タイの地場サプライヤー、特にエンジン部品やトランスミッション部品を製造してきた企業は、新たなEVサプライチェーンに入り込む余地がほとんどない。業界の77%を占める中小企業が、EV部品生産への転換に必要な資金調達と技術導入の遅れに直面している状況は、タイ部品メーカー、EV転換で収益危機で詳しく報じられている。
もしHorizon Plusが稼働していれば、PTTは国策としてタイ地場サプライヤーの部品採用を優先し、技術移転を促進する役割を果たせたはずだ。PTTが撤退することで、地場企業を保護・育成する国内のアンカーがいなくなる。
EVシフトの裏側で、従来の内燃機関車メーカーの縮小・撤退が相次いでいる。スズキは2025年末でのラヨーン工場の閉鎖を決定し、スバルもタイでの現地生産を終了した。日産自動車も生産能力の削減と1,000人規模の人員削減を計画しているとの報道がある。
中国メーカーの工場は高度に自動化されており、雇用吸収力が従来の日系工場に比べて低い。求められるスキルセットが異なるため、失業した熟練工がそのままEV工場に再就職できるわけではない。
今後の展望
PTTの判断は、企業の財務健全性を守るためには極めて合理的だ。しかし、それは同時に、タイが自国の手でEV産業をコントロールする機会を失い、中国資本への依存を深めるという厳しい現実を受け入れることを意味する。
PTTはEV製造から撤退した後、本来の強みであるエネルギー供給とインフラ事業において、新たな役割を果たすことになる。EV普及を支える「充電ステーション」の整備には引き続き投資を行う。ガソリンスタンド網を活用し、急速充電器の設置を進める。
また、PTTは水素エネルギーやCCS技術への投資を強化している。単なるEV化を超えた、より広範な脱炭素社会の実現に向けた取り組みだ。
タイ政府は産業政策の再考を迫られている。中国メーカーに対して、地場部品の採用を義務付ける、あるいはインセンティブを与える等の政策介入が必要となる。また、EV一辺倒ではなく、タイが強みを持つハイブリッド車や、バイオ燃料車など、多様な技術的選択肢を許容し、既存のサプライチェーンをソフトランディングさせる政策への転換が求められる。
PTTによるHorizon Plusからの撤退検討は、タイにおける「EV熱狂」の終わりを告げる転換点である。かつて「アジアのデトロイト」として繁栄したタイは今、その瀬戸際に立たされている。
参考記事リンク
- PTT ready to walk away from EV venture – Bangkok Post
- PTT weighs exit from EV joint venture in Thailand – Mobility Plaza
- Thai Authorities Keep Close Watch on NETA Amid Parent Company’s Bankruptcy – Nation Thailand
- Impact of Electric Vehicles on Thailand’s Automotive Industry: Implications for Auto-Parts Suppliers and Workforce – Friedrich-Ebert-Stiftung
- Thai autoworkers face mass layoffs – World Socialist Web Site


