タイ政府が93カ国を対象とする60日間のビザ免除政策の見直しを進めている。観光収入の必要性と、不法滞在や組織犯罪への対策という相反する二つの要請の間で、タイは難しい選択を迫られている。
現行のビザ免除政策と再評価の動き
タイは2024年7月から、93の国と地域の国民を対象に60日間のビザ免除政策を実施している。さらに、タイ国内の入国管理局で30日間の延長を申請できるため、最大90日間の滞在が可能だ。この寛大な政策は、COVID-19パンデミックからの観光回復を目的に導入された。
しかし、2025年11月時点で、タイ政府はこの政策の全面的な再評価に着手している。タイ外務省領事局は2025年10月24日、観光・スポーツ大臣が議長を務める会議で、60日間ビザなし措置の影響について協議したと発表した。
安全保障上の懸念が浮上
政府が見直しに踏み切った背景には、複数の深刻な懸念が存在する。
訪問者が許可されていない商業活動や不法就労に従事するケースが増えている。さらに深刻なのは、短期間の出国と再入国を繰り返し、ビザなし滞在を連続して更新する「ビザラン」の急増だ。60日間という長い期間は、この問題をさらに悪化させた。
最も深刻な懸念として、この制度がオンライン詐欺やコールセンターといった組織犯罪の温床となっている点が挙げられる。2025年10月の政策見直し会議には、観光・スポーツ省や外務省だけでなく、国家安全保障会議も参加した。問題のレベルが「国家安全保障」へと格上げされたことを示している。
BKK IT Newsでは、11月にタイ入国管理局がビザ免除での入国が2回を超える場合、正当な理由なければ入国拒否という新方針を導入したことを報じている。この取り締まり強化は、今回の政策見直しと密接に連動している。
検討中の変更案と省庁間の綱引き
複数の変更案が議論されている。最も有力な案は、現行の60日間から、パンデミック前の基準であった30日間への短縮だ。また、ビザ免除による連続した再入国の回数に明確な制限を設ける案も検討されている。
注目すべきは、政策決定の遅延だ。2025年3月の時点では、「30日間への短縮が間もなく実施される見込み」と報じられていた。しかし、それから8ヶ月以上が経過した2025年11月18日現在でも、依然として「協議中」の段階にある。
この遅延は、観光収入の最大化を至上命題とする観光・スポーツ省と、不法滞在や組織犯罪の取り締まり強化を優先する内務省および入国管理局との間での激しい「綱引き」を示唆している。
アジアの「観光戦争」という圧力
ビザ免除期間の短縮は、タイの観光競争力を著しく低下させる可能性がある。日本、韓国、ベトナム、マレーシア、シンガポールといった競合国は、積極的な誘致戦略と野心的な成長目標を設定している。
タイ国内の観光関係者からは、競争力を維持するためには、マレーシアやシンガポールのように「90日間のビザ免除にすべきだ」という意見さえ出ている。ビザ免除期間を30日間に短縮することは、回復しかけた観光客を近隣の競合国に奪われるという深刻な経済的リスクを伴う。
デジタル監視システムTDACの導入
2025年のビザ政策の議論において、見落とされがちだが極めて重要な要素がある。それは、タイの入国管理システムそのものが、根本的なデジタル化を遂げたことだ。
2025年5月1日以降、タイに入国するすべての外国人は、タイ到着前の72時間以内に、「タイ・デジタル到着カード」をオンライン提出することが義務付けられた。TDACの登録プロセスにおいて、旅行者は個人情報、パスポート情報、旅行情報、タイ国内の宿泊先情報、さらには健康状態に関する情報の提出を求められる。
これらのデジタルデータは、即座に入国管理データベース、犯罪者リスト、オーバーステイのブラックリストと照合することが可能だ。事実上、TDACは、すべての外国人を対象に事前スクリーニングと追跡を行う、強力な監視ツールとして機能している。
企業への影響と対応
ビザ免除期間が30日間に短縮された場合、複数の分野に影響が及ぶ。観光業は直接的な打撃を受ける。長期滞在者向けのビジネスモデルは見直しを余儀なくされるだろう。
デジタルノマドや長期旅行者にとっても、タイの魅力は低下する。30日ごとに延長手続きのために移民局に出向くか、より複雑で高コストなビザの取得を余儀なくされる。結果として、タイは「安価で簡単な長期滞在先」としての魅力を失い、よりビザが寛容なマレーシアなどの近隣諸国に人材を奪われる可能性がある。
一方で、60日間を維持しつつTDACによる監視を強化するシナリオも考えられる。この場合、公には60日間という開かれた政策を維持し、観光競争力をアピールする。その水面下では、TDACのデータベースと強化された入国審査を活用し、ビザランを繰り返す者や不審な滞在パターンの者を選別し、入国拒否や厳格な監視対象とする。
タイが直面する選択
タイ政府の最終決定は、経済と安全保障のどちらを優先するかによって、異なる未来をもたらす。
最も現実的な落としどころは、60日間を維持しつつTDACによる厳格な執行を強化する「ハイブリッド・モデル」だ。これにより、観光競争力を維持しながら、データに基づいて問題のある個人だけを選別する仕組みが構築される。
しかし、安全保障上の懸念が経済的懸念を上回った場合、30日間への短縮という強硬策が取られる可能性もある。
真に注視すべきは、2025年5月から本格稼働したTDACというデジタル監視システムが、今後どのように運用・執行され、現場の入国審査や国境管理に反映されていくかだ。そこにこそ、タイの将来の入国管理政策の真の姿が示されることになる。
参考記事
- Thailand Reassessing 60-Day Visa Exemption Policy for 2025 – Development Party
- Thailand: Authorities reassessing 60-day visa exemption – VisasNews
- Guideline Thailand Digital Arrival Card (TDAC) – Tourism Authority of Thailand
- Welcome Guide – Thailand Digital Arrival Card
- Thailand’s Destination Visa Loophole: All You Need to Know – Pacific Prime


