2,250億バーツ規模の巨大プロジェクトが、契約から6年を経ても実質的に未着工のまま膠着状態にある。政府とCPグループの対立、訴訟リスク、そしてタイの国家戦略全体への連鎖的影響を解説する。
6年間の停滞とその原因
タイの国家戦略プロジェクトである3空港接続高速鉄道が、深刻な遅延に直面している。2025年11月14日、タイ国鉄(SRT)は、ドンムアン空港、スワンナプーム国際空港、ウタパオ国際空港を結ぶ2,250億バーツ規模のプロジェクトについて、開業が最短でも2030年になるとの見通しを示した。当初2024年とされていた開業予定から6年遅れる計算となる。
2019年10月にSRTとCPグループ主導のコンソーシアム「アジア・エラ・ワン(AERA1)」との間でPPP契約が締結されてから6年が経過した。この間、プロジェクトは実質的に未着工の状態が続いている。
停滞の原因は複合的だ。第一に、COVID-19パンデミックによる経済環境の激変がある。AERA1は契約の一部として既存の「エアポート・レール・リンク(ARL)」の運営を引き継いだが、パンデミックで航空需要が蒸発した結果、ARLは巨額の赤字を計上した。2023年時点で、AERA1は月額7,000万バーツ(約2.8億円)をARLの赤字補填に支出している。
この財務的打撃により、AERA1は契約上の義務である106億7,000万バーツのARL運営権料の支払いが困難になった。さらに、新規の高速鉄道建設に必要な銀行融資の確保も極めて厳しい状況となった。
第二に、政府側の義務不履行も指摘されている。SRTは建設に必要な用地の引き渡しを大幅に遅延させており、AERA1は物理的に建設を開始できない状態が続いた。この「双方の債務不履行」状態が、プロジェクトを完全な膠着状態に陥らせた。契約から6年が経過した2025年11月現在においても、建設開始許可(NTP:Notice to Proceed)が未だに発行されていない。
政府内の深刻な対立
現在進行中の「契約見直し」は、AERA1からの支払い条件の変更要求と、それを巡る政府内部の対立によって行き詰まっている。
AERA1の中核的な要求は、政府による共同投資額(約1,200億~1,500億バーツ)の支払い方法の変更だ。当初の契約では、この支払いは「プロジェクト完成後」に10年間の分割で支払われる規定だった。しかし、AERA1は「建設の進捗に応じて(Pay-as-you-build)」分割で支払うよう変更を要求している。この変更が認められれば、プロジェクトの財政的リスクの大部分を政府にシフトさせることを意味する。
この要求に対し、政府内の足並みは全く揃っていない。ピパット運輸大臣は、「Pay-as-you-build」への変更は「違法であり、契約の核心的原則に反する」と強硬に反対している。法務長官府(OAG)も、契約修正案を「国家に不利」として18項目の懸念事項を付記して差し戻した。一方で、東部経済回廊(EEC)事務局は、EEC戦略の成功がこの鉄道プロジェクトの実現にかかっているため、契約修正に対して容認的な立場を取っている。
訴訟リスクという最大の障壁
ピパット運輸大臣が「違法」とまで強く反対する背景には、次点入札者からの訴訟リスクがある。2019年の入札では、CPコンソーシアム(AERA1)とBSRジョイントベンチャー(BTSグループなど)が競合した。AERA1は「政府の財政負担が最も少ない」(1,172億バーツ)という提案で、BSR(1,699億バーツ)に勝利した。
もし今になって、政府がAERA1に「Pay-as-you-build」という、当初の入札条件にはなかった極めて有利な条件を与えるならば、入札プロセス全体の公正性が根底から覆る。ピパット運輸大臣は、このような変更を行えば「次点入札者から訴訟を起こされるリスクがある」と明確に警告している。この問題の最終的な判断は、内閣による政治決断に委ねられた。
国家戦略への連鎖的影響
この遅延は、単一の鉄道プロジェクトの失敗に留まらない。本プロジェクトは、タイの国家戦略である東部経済回廊(EEC)の「背骨」と位置づけられてきた。
この「背骨」が機能不全に陥ったことで、EECのもう一つの柱である「ウタパオ空港拡張・東部航空都市プロジェクト」の開発にも、破滅的な遅延が直結している。ウタパオ空港・航空都市の計画は、3空港接続高速鉄道との「シームレスな接続」を大前提として設計されている。しかし、鉄道側のNTPが発行されないため、空港側のコンソーシアムもNTPの発行を受けられないという「連鎖的停滞」に陥っている。その結果、空港側コンソーシアムは、当初の投資計画の縮小や見直しをEECに提案する事態に至っている。
遅延が確定したことによる具体的影響は、多岐にわたる。ドンムアン空港とスワンナプーム空港間を約20分で結ぶシームレスな移動は実現せず、パタヤ、ラヨーンといった主要観光地への高速アクセスも失われた。既存のARLも、AERA1の赤字経営の下で、サービス品質の低下が乗客から繰り返し報告されている。
損害最小化のフェーズへ
2030年開業という見通しは、現在の法的・財政的対立が「即時に」解決された場合の最短シナリオに過ぎず、極めて楽観的なものだ。
本プロジェクトの危機は、ARLという既存の赤字事業をバンドルした欠陥のあるPPP契約、COVID-19という予期せぬ外部ショック、SRTによる土地引き渡し遅延という政府側の義務不履行、という三つの要因が複合的に絡み合って引き起こされた。
現在の膠着状態は、AERA1の財務的窮状と、運輸省が直面する「BSR(次点入札者)からの訴訟リスク」という法的な脅威の間で、身動きが取れなくなった状態だ。最終判断は内閣による政治決断に委ねられたが、どの選択肢を選んだとしても、タイ政府は甚大なコストを支払うことになる。それは、BSRからの訴訟、CP側への巨額の賠償金、EEC国家戦略の崩壊、そして国際社会における信用の失墜だ。
このプロジェクトは、もはや「いかに成功させるか」というフェーズではなく、「いかに損害を最小化するか」というダメージコントロールのフェーズに移行している。
参考記事リンク
- More delays ahead for three-airport rail line – Bangkok Post
- High-Speed Rail Linking Thailand’s Three Airports on Brink of Collapse – Khaosod English
- Thailand’s flagship high-speed airport rail project on the brink of collapse – TravelMole
- High-speed Airport Rail Link in doubt as Thai Transport Minister opposes pay-as-you-build – The Star
- Cabinet to decide on revision of 3-airport high-speed rail contract, says Phiphat – Nation Thailand


