タイ政府が20項目の経済対策を発表 ~選挙前の景気刺激策、短期効果と長期リスク~

タイ政府が20項目の経済対策を発表 ~選挙前の景気刺激策、短期効果と長期リスク~ タイ政治・経済
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タイ政府が2025年11月、総額1,000億バーツ超の20項目経済対策を発表した。低所得者への追加給付、消費喚起策「コンラクルンプラス」、10万バーツ以下の債務救済が三本柱だ。2026年1月31日の下院解散を控え、景気失速を回避する緊急措置として位置づけられているが、実施時期は選挙戦略と完全に同期している。

経済対策の三本柱

アナティン政権が発表した経済対策は、タイ経済の課題に同時対応する形で設計されている。

第一は国家福祉カードへの追加給付だ。2025年11月と12月の2ヶ月間、低所得者1,340万人に月額850バーツを追加支給する。総予算は227億8,000万バーツだ。

第二は「コンラクルンプラス」だ。政府が消費額の50%を補助する。一般国民2,000万人が対象で、納税者には最大2,400バーツ、一般には最大2,000バーツを給付する。予算は440億バーツで、実施期間は2025年10月29日から12月31日までの2ヶ月間だ。開始8日で170億バーツが使用されるなど、即効性のある景気浮揚策として機能している。

第三は債務救済策「ปิดหนี้ไว ไปต่อได้」だ。10万バーツ以下の不良債権を対象に、政府系資産管理会社が金融機関から債権を買い取る。未払い利息と手数料を全額免除し、元本の一部をカットする。対象者は120万人から340万人と推計されている。

構造問題と政治的タイミング

タイ経済は二つの脆弱性に苦しんでいる。家計債務は対GDP比86.8%と危険な水準だ。世界銀行によれば、パンデミックで債務世帯の割合が45.2%から51.5%に増加した。

もう一つは所得格差だ。タイの所得ジニ係数は43.3%と東アジア・太平洋地域で最も高い。最富裕層10%が国富の半分以上を保有している。

今回のパッケージはこれら脆弱性への短期的な対症療法だ。しかし、タイ開発研究所(TDRI)が提言する根本的な構造改革は含まれていない。TDRIは「金を配る」政策ではなく「雇用を創出する」政策が必要だと指摘している。

政策発表の直前、タイ経済は失速の兆候を見せていた。財務省は、対策なしでは第4四半期のGDP成長率が0.3%に留まると予測していた。今回の対策は景気失速を瀬戸際で食い止めるための緊急措置だ。

選挙戦略との連動

実施時期が2026年1月31日の下院解散という政治的期限と完全に同期している点が最大の特徴だ。

アナティン政権は2025年9月に人民党との連立合意で成立した「暫定政権」だ。合意の核心は「2026年1月31日までに下院を解散する」確約で、2026年3月下旬または4月上旬に総選挙が実施される。

政策の時系列はこの政治的タイムラインと完全に一致している。2025年10月にコンラクルンプラス登録開始、11月に20項目パッケージ発表、12月に第1フェーズ終了、2026年1月に第2フェーズ開始と債務救済開始だ。

注目すべきは第1フェーズ実施中に第2フェーズがすでに公表されている点だ。解散直前まで「政府からの恩恵が続いている」という感覚を維持する計算された政治的スケジューリングだ。Suan Dusit Pollの世論調査によれば、「コンラクルン」は過去最も国民に好まれた施策で、国民の過半数が「ポピュリズム政策を掲げる政党が選挙で有利」と考えている。

短期効果と中長期リスク

短期的には個人消費喚起とGDP成長率の押し上げが期待される。「コンラクルンプラス」発表で消費者信頼感は9ヶ月ぶりに改善した。債務救済策は最大340万人に信用情報「リセット」の機会を提供する。

しかし中長期的リスクも大きい。第一に財政規律への懸念だ。格付機関Fitchは財政改革の遅れを理由にタイの格付け見通しを「ネガティブ」としている。

第二にモラルハザードの定着だ。タイ銀行は債務救済を「一度きり」と強調するが、「政府が救済してくれる」という期待を生み出す危険性がある。

第三に、最大のリスクは構造改革の先送りだ。世界銀行は、タイが高所得国になるには人的資本の強化、競争力と革新性のある経済、低炭素な都市開発、気候変動への耐性、効率的な公的機関という5つの構造改革が必要だと提言している。本パッケージが短期的に「成功」するほど、「改革よりも給付」というポピュリズムの道を強固にする「負の遺産」となる可能性がある。

企業への影響

この経済対策は短期的な消費拡大の機会を提供する一方、中長期的な経営環境の不確実性を高める。

コンラクルンプラスは小売業や飲食業にとって年末商戦の追い風だ。債務救済は新たな消費者層の創出にもつながる。しかし、財政規律の悪化と構造改革の先送りは、投資環境への中長期的な信認を損なうリスクがある。

BKK IT Newsとしては、企業は短期的な消費拡大の機会を活用しつつも、中長期的な事業戦略ではタイ経済の構造的脆弱性を十分に考慮する必要があると考える。家計債務問題と所得格差の根本的解決が先送りされ続けることで、内需市場の持続的成長には限界があるという前提での計画が重要だろう。

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