タイのオフィス市場で新しい動きが起きている。従業員の居住地に近い小規模な「マイクロ・ワークスペース」への注目だ。COVID-19以降の働き方の変化と、バンコク中心部の不動産供給過剰という2つの要因が重なり合って生まれた。
パンデミック前から始まっていた変化
2019年以前のタイの職場は、厳格な階層構造が特徴だった。年功序列が重視され、物理的な出社が前提とされていた。
しかし2011年のバンコク大洪水が転換点となる。多くの住民がオフィスへ出勤できなくなった。在宅勤務や代替スペースでの業務を余儀なくされた。これが、中央集権型オフィス以外の働き方の必要性が認識された最初の契機だ。
2012年にはバンコク初のコワーキングスペース「HUBBA」が設立される。2013年頃からチェンマイなど地方都市にも拡大した。ただし主な利用者は、スタートアップやフリーランサー、デジタルノマドが中心だった。
COVID-19が変えた価値観
2020年のパンデミックは、企業にとって想定外の実験となった。リモートワーク環境下でも事業を継続できることが証明された。調査では、リモートワーク中も組織へのコミットメントが維持され、生産性も向上したことが示されている。
より大きな影響は労働者の価値観の変化だ。PwCタイの2021年調査によると、タイの従業員、特に若年層は柔軟性と自律性を強く求めるようになった。自分の価値観に合致する働き方を求め、転職や独立も厭わない姿勢を見せている。
柔軟な働き方は、福利厚生ではなく必須条件になった。2025年にJLLが実施した調査では、バンコクの企業の76%が週に1~2日のリモートワークを許可している。
一方で2024年初頭から、一部の経営陣がオフィスへの回帰を命じる動きも見られた。しかしこの動きは従業員からの強い抵抗に直面する。バンコク首都圏では交通渋滞が深刻だ。郊外に住む従業員にとって、CBD(中央ビジネス地区)のオフィスへの通勤には往復で平均2~3時間を要する。パンデミックを経て、この通勤時間が生産性のない時間の無駄であると認識されるようになった。
バンコク中央ビジネス地区の供給過剰
2025年現在、バンコクのCBDでは深刻なミスマッチが起きている。パンデミック前に計画された大規模プロジェクトが、ハイブリッドワークによる需要縮小という最悪のタイミングで供給され始めた。
JLLの分析によれば、2028年末までに約150万平方メートルのオフィススペースがバンコクに供給される見込みだ。既存ストックが実質的に2倍になる。需要は追いついていない。2024年第2四半期時点でバンコクのオフィス空室率が23%に達した。2025年第2四半期には占有率が79.3%に低下し、2004年以来初めて80%を割り込んだ。市場がテナント優位に転じている。
この状況については、タイオフィス市場に転換期到来~供給過剰と稼働率低下、テナント優位の新時代で詳しく分析している。
供給過剰は市場を二極化させた。需要は、ウェルネス施設やESG認証を備えた最新のAグレード・ビルに集中している。この現象は「質への逃避」と呼ばれる。一方、設備が古いBグレード以下のビルは競争力を失い、空室率が上昇している。
ハブ・アンド・スポークという解決策
この状況下で注目されるのが「ハブ・アンド・スポーク」モデルだ。本社機能を残しつつ、従業員の居住地に近い郊外や地方都市に小規模オフィスを設置する形態を指す。ハブとなる本社は、コラボレーションや企業文化の醸成に特化される。スポークとなるマイクロ・ワークスペースは、通勤時間を削減し、集中作業の場を提供する。
JustCoは、バンコクの「One City Centre」でマイクロ・ワークスペースを展開している。高級ホテルのような上質なアメニティを提供する「ホテル化」、植物や自然光を取り入れる「バイオフィリア」、音響設計による「ネイバーフッド」が特徴だ。
企業がこのモデルを採用する動機は明確だ。不動産コストを最大30%削減できる可能性がある。柔軟な働き方の提供は、優秀な人材を惹きつけ、維持するための競争力の源泉となる。
郊外・地方都市への分散化
フレキシブル・オフィスは、CBDから郊外および地方都市へと拡大している。
パトゥムターニー県・ランシット地区では、カフェ併設型のコワーキングスペースが多数出現している。IWGグループのようなグローバル・オペレーターも、企業のサテライト・オフィス需要を取り込み始めている。
チョンブリ県・シラチャ地区は、東部経済回廊の中心地だ。工業団地が集積し、多国籍企業の駐在員が多い。RegusがHarbor MallやBrighton Grandで サービスオフィスを提供している。
チェンマイ県は、デジタルノマドのハブとして知られる。RegusやStarWorkなどがAグレードのオフィス環境を手頃な価格で提供している。
労働市場と価値観の変化
ハイブリッドワークの普及は、労働市場にも影響を与えている。Jobsdb by SEEKの2025年報告によると、タイの大企業においてパートタイム正社員の割合が20%から42%に倍増した。契約パートタイムの割合も19%から28%に増加した。労働市場が安定よりも柔軟性を重視する構造転換点にある。
価値観も変化している。Michael Pageの調査では、タイの従業員の40%が「より良いウェルビーイングのためなら、昇進を辞退する」と回答した。企業は単にオフィスを提供するだけでは人材を確保できない。従業員の精神的健康をサポートするプログラムや、柔軟な勤務体制を受容する企業文化が不可欠となっている。
今後の展望
タイ経済は低成長が続くとの見方が優勢だ。企業はコスト管理を優先する。バンコクのオフィス供給過剰問題は2026年以降も継続する見込みだ。
この環境は市場の淘汰を加速させる。質への逃避はさらに進行し、柔軟性、ウェルネス、テクノロジーへの投資を怠るビルオーナーはテナント獲得競争から脱落する可能性がある。
不動産オーナーにとっては、単なる空間を貸すという従来のビジネスモデルは機能しにくくなっている。オフィスを従業員が行きたくなる目的地として再定義する必要がある。
企業にとっては、オフィス戦略をコスト基軸から人材基軸で再構築する時期が来ている。マイクロ・ワークスペースを戦略的に活用し、郊外や地方都市にスポークを配置することで、従業員の通勤負荷を軽減できる。これは現代において持続可能な人材維持戦略の一つとなる。
マイクロ・ワークスペースの台頭は、タイ市場における構造転換の兆候だ。BKK IT Newsは、パンデミックが引き金となった労働価値観の転換と、商業不動産の供給過剰という2つの要因が衝突した地点で生まれたこのトレンドが、今後数年にわたりタイの企業戦略と不動産投資のあり方を定義し続けると見ている。
参考記事リンク
- JustCo Ignites “work-from-hospo” Trend with the Upcoming Launch of New Co-working Centre at OCC, Bangkok’s Tallest Office Building
- Thai work culture needs to change to avoid brain drain: PwC
- Thailand’s Office Market: Navigating Oversupply with Flexibility and Innovation
- Bangkok’s commercial real estate braces for supply influx – JLL
- Flex office thrives in buzzing Bangkok | Savills Prospects


