2025年11月5日、タイ国家デジタル経済社会委員会(BDE)が2026年のデジタルGDP成長率を4.2%と発表した。この数値は、タイ財務省が予測する国家GDP成長率2.0%の2倍以上となる。国家経済全体が停滞する中、デジタル経済が唯一の成長エンジンとして機能している。
2026年の成長予測と内訳
BDEは2026年のデジタルGDP総額を5.6兆バーツと予測している。これは同年の国家GDP予測19.3兆バーツの約29%に相当する。
注目すべきは、この4.2%という成長率が2025年予測の5.0%から減速している点だ。BDEはこの減速の主因を世界経済の低迷に求めている。IMFは2026年の世界経済成長率を3.1%と予測している。WTOは世界貿易の成長率を2025年の2.4%からわずか0.5%に減速すると見込んでいる。
成長の内訳を見ると、構造的な課題が見えてくる。民間デジタル投資が6.2%と唯一の強い推進力となっている。一方で、民間デジタル消費は1.1%と微弱だ。2025年に24.9%の伸びを示したデジタル輸出は4.5%へと減速する。成長の実態は民間のインフラ投資に依存した一本足打法だ。
データセンター投資ブームの背景
この民間投資の急増には明確な背景がある。2024年から2025年にかけてデータセンター投資ブームが起きた。バンコクのデータセンター市場は2025年上半期に建設中容量が267%増、計画中容量が177%増と大きく拡大した。
同期間だけで28のプロジェクト、総額161億米ドルの投資がタイに流入している。主要プレーヤーはAWS、Google、Microsoftといった米国ハイパースケーラーだ。中国のByteDanceも2025年3月に88億米ドルという巨額投資を発表している。
米中両陣営がタイを投資先として選定している背景には地政学的要因がある。タイは両陣営にとっての中立的なインフラハブとして機能している。技術サプライチェーンのリスク分散の受け皿となっている。
政府の「Cloud First」政策
この投資ブームは政府の強力な後押しで実現した。政府は「Cloud First」政策を推進している。関連予算は2024年の2億バーツから2025年には10億バーツへと5倍に増額された。
2025年8月、デジタル政府開発庁(DGA)は政府機関によるクラウド利用ガイドライン草案を公表した。この草案の核心はデータ主権の要求だ。政府データは3段階に分類される。高度保護対象データは国内のソブリン・クラウドに保存することが義務付けられる。すべての政府データも国内保存が推奨されている。
この政策とデータローカライゼーション要求が、グローバルクラウド事業者に強力な需要シグナルとなった。政府自らが巨大な顧客となることで、数十億ドル規模の民間投資リスクを低減させている。
深刻な人材不足という障壁
成長予測の裏で、最も深刻な課題が顕在化している。それは人材不足だ。
タイ開発研究所(TDRI)は2025年6月のレポートで重要な指摘をしている。8万人のAI専門家が不足している。これがイノベーション拡大の主要な障壁となっている。
デロイトの調査では、タイの経営者の95%が自社のGenerative AIに関する専門知識の不足を認めている。Roland Bergerは1690万人の非熟練労働者が技術スキル不足により失業リスクに瀕していると警告する。
最新鋭のAIデータセンターという「F1カー」の導入には成功している。しかし、それを運転できる「F1ドライバー」が致命的に不足している。このギャップが、タイのデジタル経済の将来を左右する最大のリスクとなっている。
政府の人材育成施策
政府もこの問題を認識し対策を講じている。デジタル経済推進庁(depa)は「デジタルスキル・ロードマップ」を立ち上げた。AI、クラウド、サイバーセキュリティなどの分野で100の初期コースを提供している。年間100万人のデジタル人材育成を目標としている。受講料の70%補助や採用企業への税制優遇措置を設けている。
MicrosoftとDGAが連携し、政府職員向けのAI研修プログラム「Tech for Gov 2025」も実施中だ。2027年までに105のスマートシティを整備する計画も進んでいる。
ただし、これらの施策には課題がある。広範なデジタルリテラシー向上には寄与するだろう。しかし8万人という高度AI専門家の不足を解消するには、規模と質の両面で不十分と見られている。
東部経済回廊(EEC)の二律背反
「タイランド4.0」の実行部隊となるのが東部経済回廊(EEC)だ。ラヨーン、チョンブリー、チャチェンサオの3県にまたがる巨大経済特区で、デジタルなど12の重点産業の誘致を目指している。
EECの進捗には矛盾した状況が存在する。2025年11月のレポートは厳しい評価を下している。主要なインフラプロジェクトが遅延と予算超過に直面している。規制上の問題や投資コミットメントの欠如により、計画が遅れている。
一方で、民間投資は活況を呈している。2025年第1四半期のFDIはEECに集中している。デジタル、電子、EVセクターが最大の流入先となった。データセンター投資の多くもEECのラヨーン県とチョンブリー県に集中している。
この状況は、EECの成功が二重構造であることを示している。政府主導の公的インフラ計画は遅々として進んでいない。しかし民間企業は政府の公共事業完成を待っていない。BOIの税制優遇措置と地理的利点を求めて独自にインフラ建設を進めている。
ASEAN域内での競争環境
タイは近隣諸国と競争を繰り広げている。ベトナムは2026年に国家GDP成長率10%という野心的目標を掲げている。科学技術とデジタル変革を主要推進力と位置づけている。
インドネシアは既にASEAN最大のデジタル経済国だ。2024年のeコマース市場GMVは750億ドルに達した。2026年までに1000億ドルを超えると予測されている。
2026年に署名予定のASEANデジタル経済枠組み協定(DEFA)は、タイにとって諸刃の剣となる。越境データフローやデジタル貿易が自由化されれば、インフラを持つタイには有利だ。しかし国内に高スキル人材が不足している。シンガポールやベトナムで開発された高度サービスがタイ市場に流入するリスクもある。
今後の展望
タイのデジタル経済は深刻なアンバランスに直面している。「ハードウェアへの過剰投資」と「人材への過少投資」だ。地政学的追い風を受けたインフラ投資ブームは成功裏に終わりつつある。しかし、そのインフラを活用して高付加価値サービスを創造する人材が決定的に不足している。
BKK IT Newsとしては、タイは現在「デジタル・クリエーター(創造者)」ではなく「デジタル・ランドロード(貸し手)」になる道を進んでいると見ている。巨額のFDIが最先端のデータセンターを建設する。しかし、それを使いこなす国内人材が不足している。AIサービスが生み出す高付加価値な収益は海外に流出する可能性が高い。
インフラの賃料は稼げる。しかし、デジタル・サービス赤字は解消されない。国内では高スキルエリート層と大多数の低スキル労働者との間で格差が拡大するリスクがある。
政策の優先順位は転換が必要だ。インフラ誘致から人材育成へと緊急にシフトする必要がある。現行施策は危機的なギャップを埋めるには規模・質ともに不十分だ。数十億ドルのインフラ投資を座礁資産にしないためにも、高等教育と産業界が直結した新しいレベルでのAI・エンジニアリング人材育成戦略が求められている。
参考記事リンク
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