タイ、週40時間労働法案が審議入り~まだ確定していない改革案を巡る攻防~

タイの労働時間短縮法案、審議中~週40時間制度入り未定、経済界との駆け引き~ タイ政治・経済
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タイで2つの労働法改正草案が下院第一読会を通過し、週の労働時間を48時間から40時間へ短縮する提案が注目を集めている。2025年9月24日に下院で原則承認された法案は、現在特別委員会で詳細審議が進められている段階だ。注意すべき点は、この法案はまだ成立しておらず、経済界からの強い反対を受けて内容が大きく変わる可能性があることだ。

2つに分割された法案の戦略

今回の改革案は、意図的に2つの法案に分けて提案されている点が特徴的だ。

第一法案は、週の労働時間を現行の48時間から40時間へ短縮し、週休日を最低1日から2日へ引き上げる内容だ。年次有給休暇も勤続1年後に6日から、勤続120日後に10日へと権利発生要件を大幅に短縮する。危険業務については、週42時間から35時間へとさらに厳しい制限が提案されている。

第二法案は、月経休暇を月最大3日間、家族介護休暇を年間最大15日間新設する。授乳室の設置義務や、性自認や政治的見解による差別禁止条項の拡大も含まれる。

この分割戦略は高度な政治的計算に基づいている。経済界からの猛反発が予想される第一法案と、社会的合意を得やすい第二法案を分離することで、第一法案が難航しても第二法案だけは成立させる道を残している。

法案推進の経緯

タイの労働法は1998年に制定されて以来、週48時間制を維持してきた。この制度の下で、タイの労働者の46.7%が週48時間を超えて働いている。これは世界平均の約20%を大きく上回る数値だ。

この状況に転機をもたらしたのは、2023年5月の総選挙だ。都市部と若年層から強い支持を得た前進党が第一党となった。前進党はその後解党命令を受けたが、議員の多くは人民党として活動を継続している。今回の2つの法案は、この人民党の議員によって提出された。

下院第一読会では、第一法案は333対0、第二法案は329対0という圧倒的賛成で原則承認された。しかし、この結果は「労働者のための改革」に公然と反対票を投じることの政治的困難さを示している。本当の交渉は、その後に設置された特別委員会で進行している。

経済界からの強い反対

法案の第一読会通過後、タイ商工会議所、タイ産業連盟、タイ銀行協会の3団体で構成される民間共同委員会は、2025年10月に公式に反対と見直しを求める書簡を提出した。

経済界の懸念は、特に中小企業への影響に集中している。タイ産業連盟の試算では、週48時間から40時間への短縮により生産コストが17%増加する。タイの全企業の9割以上を占める中小企業は、このコスト増を吸収する体力がない。法案が施行されれば、中小企業の倒産や失業が急増すると警告されている。

興味深いのは、労働者の収入減少リスクも指摘されている点だ。多くの労働者が残業代を生活給の一部として組み込んでいるため、企業が残業を停止した場合、労働者の総収入は16%から17%減少する可能性がある。

経済界は法案の施行を5年から10年延期するよう要求している。さらに、最低賃金の決定プロセスの遵守や外国人労働者の規制緩和など、6項目の対案を提示している。この対案は、週40時間制という核心的な変更を回避し、議論の焦点をより受け入れやすい手続き論に逸らす狙いがある。

法案成立への道筋

すでに妥協の兆候は表れている。2025年10月末の委員会審議で、年次有給休暇の権利発生要件が当初案の勤続120日から180日へ後退した。経済界の圧力が具体的に影響を与え始めている証拠だ。

参考になるのは、同時期に審議されていた産休延長法案との対比だ。産休を98日から120日へ延長する法案は、2025年9月15日に上院を通過し、国王の署名を待つのみとなっている。産休延長法案が迅速に成立したのに対し、週40時間法案が激しい抵抗に遭っている。この対比は、経済界が「社会福祉的」なコスト増は受け入れても、「生産モデルの根幹」に関わるコスト増には全力で抵抗する姿勢を示している。

BKK IT Newsとして予測する最も現実的なシナリオは、「大規模な妥協」だ。第二法案の月経休暇や家族介護休暇は、ほぼ原案通り成立する可能性が高い。これは推進派の政治的成果となる。

一方、第一法案の週40時間制については、施行の大幅延期、中小企業や特定産業の適用除外、週44時間からの段階的導入、あるいは「週40時間を原則とするが労使合意により週48時間まで延長可能」といった骨抜き条項のいずれかが採用される公算が大きい。

企業が取るべき対応

タイで事業を展開する企業は、この法案の動向を注視する必要がある。完全に骨抜きにされる可能性は低く、何らかの形で労働時間の短縮や休暇制度の拡充は実現すると見るべきだ。

対応の選択肢として、まず生産性の向上への投資がある。自動化やプロセス改善により、より少ない労働時間で同じ成果を出す体制を構築する。次に、段階的な移行計画の策定だ。法案の施行時期や適用範囲がどうなっても対応できるよう、複数のシナリオを準備しておく。

人材戦略の見直しも重要だ。勤続120日または180日で年次有給休暇の権利が発生するようになれば、短期契約労働者の権利が強化される。採用や契約形態の見直しが必要になる。

タイの労働市場は転換期を迎えている。この変化を脅威としてではなく、生産性向上と人材確保の機会として捉えることが求められる。

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