タイ政府が暗号資産投資家とデジタルノマドの誘致を本格化している。2025年11月初旬、シンガポールで開催されたTOKEN2049での反応が大きな注目を集めた。
戦略的PRキャンペーンの成功
タイ観光庁の監督下にあるタイ・プリビリッジは、10月1日から2日にシンガポールで開催されたTOKEN2049に参加した。11月初旬に発表されたプレスリリースによれば、暗号資産投資家やデジタルノマドから強い関心を集めたという。
特に注目されたのは、5年間の居住権が得られる「ブロンズ会員」だ。価格は650,000バーツ(約19,000ドル)で、2025年末までの期間限定価格として提示されている。
この関心の中核となったのが、タイの暗号資産キャピタルゲイン税免除制度だ。2025年9月5日に官報に掲載された大臣規定第399号により、2025年1月1日から2029年12月31日まで5年間の免税措置が法的に確立されている。
タイ・エリートからプリビリッジへの転換
2023年後半、タイ政府は長期滞在ビザプログラムの大規模なリブランディングを実施した。20年にわたり運営されてきた「タイ・エリート」は「タイ・プリビリッジ」へと名称を変更した。
旧モデルは主に裕福な退職者をターゲットとしていた。空港でのVIPサービスと長期滞在許可をセットにした静的なパッケージだった。
新モデルは明確にターゲットを転換している。従来の退職者層に加え、活動的な「グローバルなライフスタイル」を持つ層へとシフトした。パッケージも8種類から4種類(ブロンズ、プラチナ、ダイヤモンド、リザーブ)に再編された。
さらに「プリビリッジ・ポイント」制度を導入した。会員はポイントを利用して、空港送迎、スパ、健康診断、ウェルスアドバイザリーなど多様なサービスを自ら選択できる。
このリブランディングは、タイが誘致したい外国人のペルソナを「富を静的に消費する人」から「富を能動的に生み出し移動させる人」へと転換させたことを意味する。
デジタル資産ハブ戦略の集大成
2023年に就任したセター・タウィーシン首相(当時)の政権は、タイを東南アジアの「デジタル資産ハブ」として位置づける政策を推進してきた。
暗号資産キャピタルゲイン税免除は、2022年からのVAT(付加価値税)免除に続く一連の政策の総仕上げだ。
タイ財務省は、5年間の免税措置により短期的には個人のキャピタルゲイン税という税収を失う。しかし中期的には年間10億バーツ以上の税収増を見込んでいる。
増収の源泉は3つだ。第一に、取引活発化による国内認可事業者の法人税収の増加。第二に、取引手数料にかかるVAT収入の増加。第三に、高所得投資家の国内消費による間接的な経済効果だ。
これは課税の重点を「個人のキャピタルゲイン」から「国内法人の事業収益」へと戦略的に転換するものだ。
税制優遇の条件と適用除外
この免税措置には重要な条件がある。取引はタイの証券取引委員会(SEC)が認可したタイ国内のデジタル資産事業者を通じて行われる必要がある。
BitkubやBinance THといった国内プラットフォームでの取引のみが免税対象となる。Binance.comやCoinbaseなど海外取引所での取引は対象外だ。
また、以下の所得も免税対象外となる。ステーキング報酬、マイニング報酬、エアドロップ、国外取引所やP2P取引でのキャピタルゲインは従来の所得税ルール(総合課税、最大35%)が適用される。
タイ政府は投資家に免税というインセンティブを与える一方、資金と取引をタイSECの監督下にある国内プラットフォームへ誘導している。これは「ウォールド・ガーデン」戦略と呼ばれる。
3つのビザオプションと投資家の選択
タイ政府はTOKEN2049で、対象者の属性に合わせた「ビザ・ポートフォリオ」を提示した。
まず、デスティネーション・タイランド・ビザ(DTV)だ。暗号資産トレーダー、フリーランサー、リモートワーカーから最も多くの問い合わせがあった。比較的容易に取得可能で、「お試し」層向けのビザとして機能する。
次に、タイ・プリビリッジ・ビザだ。長期的な居住とライフスタイルの質を求める層に向けた主力商品となる。特にブロンズ会員への関心が強かった。
そしてLTR(長期居住者)ビザだ。資産や投資要件を満たす富裕層向けの最上位オプションとして提示された。
ブロンズ会員の有効期間5年間は、大臣規定第399号の免税期間と完全に一致している。これは偶然ではなく、「5年間の税制優遇と居住権のセットパッケージ」として戦略的に設計された商品だ。
LTRビザとのコンボ戦略
最も高度な戦略は、LTRビザと大臣規定第399号を組み合わせる「コンボ戦略」だ。
タイ政府は2つの異なる税制優遇措置を提供している。第一に、大臣規定第399号による国内取引所でのキャピタルゲイン非課税。第二に、LTRビザ特典としての国外源泉所得の非課税だ。
この2つを組み合わせると、以下のタックス・シールドが構築できる。
投資家がLTRビザを取得する。Bitkubなど国内取引所で得た利益は大臣規定第399号により非課税となる。Binance.comやCoinbaseなど国外取引所で得た利益は国外源泉所得と見なされる。LTRビザ保有者は、この国外所得をタイ国内に持ち込んでも非課税となる。
結果として、LTRビザ保有者は事実上すべての暗号資産キャピタルゲインを合法的に非課税にできる可能性がある。
ただし、LTRビザ取得には条件がある。「富裕なグローバル市民」カテゴリーでは、タイ国債、不動産、FDIへ最低50万ドルの投資が義務付けられている。重要なのは、この投資対象として暗号資産は認められていないことだ。
タイ政府は投資家に「安定的で国内経済に直接貢献する」資産への投資を義務付ける。その見返りとして、「投機的でボラティリティの高い」暗号資産で得た利益は非課税とする。これは洗練されたリスク管理戦略だ。
グローバル競争環境での位置づけ
タイの戦略は、他のタックスヘイブンとは異なるアプローチを取っている。
UAE(ドバイ)は個人に対する所得税、キャピタルゲイン税が完全にゼロだ。規制も明確である。シンガポールも主要なハブだが、規制が厳格だ。
タイは「完全な非課税」では競争しない。代わりに3つを組み合わせた戦略を取る。第一に「条件付き」の税制優遇(国内取引所限定)。第二に「圧倒的なライフスタイル」(生活費の安さ、文化、食事、気候)。第三に「多様なビザ・オプション」(DTV、プリビリッジ、LTR)だ。
正規総販売代理店であるSiam Legalの報告書は、「タイはライフスタイルの魅力と手頃さでシンガポールを上回った」と結論付けている。タイは「世界一住みやすいデジタル資産ハブ」を目指している。
社会的影響と懸念事項
この戦略が成功すればするほど、社会的な副作用も深刻化する可能性がある。
最大の懸念はジェントリフィケーションだ。高所得の外国人が特定の地域に集中することで、地元の小規模な店舗が立ち退きを迫られる。その地域が「お洒落だが高価」な店ばかりになる現象が加速する。
ノマドや投資家の流入は、家賃やコンドミニアム価格の高騰を招く。高所得の彼らは地元住民よりも高い家賃を支払う能力がある。結果として地元住民が住み慣れた地域から追い出されるリスクがある。
タイのローカル住民からは具体的な不満が出ている。「デジタルノマドとテック系がバンコクの全てのカフェを高価にした。ラテ一杯200バーツは地元の人間には手が出ない」という声がソーシャルメディア上で確認されている。
タイは深刻な経済格差を抱える国だ。この政策は高所得の外国人を呼び込むため、「200バーツのラテを飲むノマド」と「それを横目で見る地元住民」という可視的な格差を生み出す可能性がある。
今後の展望
BKK IT Newsは、この戦略が短期的には成功すると見ている。高所得のデジタルノマドと暗号資産投資家の誘致に一定の成果を上げるだろう。タイ経済、特に不動産・サービス業に利益をもたらす可能性がある。
しかし、その成功が大きければ大きいほど、ジェントリフィケーションや生活費の高騰といった社会的な副作用も深刻化するだろう。
タイ政府の真の課題は、誘致した「富」をいかにして国内に再分配するかにある。経済格差という社会的な時限爆弾をどう管理していくかが問われることになる。
企業にとっては、この新たな市場環境を理解することが重要だ。デジタルノマドや暗号資産投資家を対象としたビジネス機会が拡大する。一方で、地域コミュニティとの関係構築や社会的責任への配慮も求められるようになるだろう。
参考記事リンク
- Thailand Privilege Announces Strong Digital Nomad Interest Following TOKEN2049 Singapore Event – Barchart.com
- Siam Legal International Highlights Thailand Digital Nomad Visa Programs at TOKEN2049 Singapore
- Thailand’s Crypto Tax Break: A Strategic Leap Toward Becoming a Digital Asset Hub – MPG
- Thailand’s 5 Year Crypto Exemption Confirmed: Details & Guidance – Expat Tax Thailand
- Long-Term Resident Visa (LTR Visa) – สถานกงสุลใหญ่ ณ นครลอสแอนเจลิส


