タイ政府が2025年10月から実施した総額440億バーツの消費刺激策「コーンラクルン・プラス」が、フードデリバリー市場に予期せぬ影響をもたらしている。政策に組み込まれた「単一プラットフォーム選択制」というルールが引き金となり、LINE MANとGrabの間で数億バーツ規模の投資を伴う熾烈な手数料引き下げ競争が発生した。中小レストラン支援を目的とした政策が、皮肉にも二大企業による市場寡占を加速させる結果となっている。
景気刺激策とフードデリバリー市場の構造問題
タイ政府が実施した「コーンラクルン・プラス」は、納税者には60%、一般国民には50%の補助率を提供する制度だ。総額440億バーツという大規模な予算を投じ、2,000万人の国民が登録した。この制度の詳細については、以前の記事で詳しく解説している。
パンデミック以降、タイのレストラン業界はフードデリバリープラットフォームへの依存を深めていた。ロックダウンにより外食が制限される中、多くの店舗は生き残りのためプラットフォームを活用せざるを得なかった。しかし、この依存構造は深刻な問題を生み出していた。プラットフォームが徴収する手数料は通常25%から35%にも達し、中小レストランの収益を圧迫していたのだ。
タイ商工会議所大学(UTCC)は、政策により第4四半期に500億~800億バーツの経済効果が生まれ、2025年の実質GDP成長率を0.4~0.5パーセンテージ・ポイント押し上げる可能性があると予測した。政府の意図は、この補助金を通じて中小企業を支援し、同時にプラットフォームの高額な手数料問題を解決することにあった。
単一プラットフォーム選択制という引き金
政策導入において最も重要だったのが、政府が導入した新ルールだ。大手オンラインEコマースプラットフォーム(Shopee、Lazada、TikTok Shopなど)での利用を禁止する一方で、フードデリバリープラットフォームは政策に組み込まれた。これにより、2,000万人の国民のデジタル消費エネルギーがフードデリバリー市場という単一のセクターに集中することとなった。
さらに決定的だったのが、フードデリバリー部門に関する「単一プラットフォーム選択制」だ。参加店舗は補助金適用のために提携するデリバリープラットフォームを1社しか選べない。
この制度は、プラットフォーム企業に国家規模の「囚人のジレンマ」を突きつけた。もしLINE MANが手数料を引き下げ、Grabが下げなければ、全てのレストランは補助金を利用するためにLINE MANを選択する。その逆も然りだ。両社は2,000万人のユーザーと数十万の店舗が動く巨大市場で、ライバルに「総取り」されるリスクを負うことになった。
この仕組みこそが、後に発生する数億バーツ規模の投資合戦の引き金となった。
LINE MANとGrabの全面対決
LINE MANは先手を打った。11月3日に登録した店舗に対し、破格の手数料7%を適用すると発表した。11月4日以降に登録した店舗に対しても手数料9%という低率を適用する。このキャンペーンを支えるため、3億バーツという巨額のマーケティング予算を投下した。プロモーションでは著名なニュースキャスターを広告塔に起用し、5kmまでの配送料無料、最大4,000バーツの店舗向け販売促進クーポン、2,500バーツの顧客向け割引などを展開した。
Grabは即座に対抗した。LINE MANと完全に同条件(11月3日までの登録で手数料7%、それ以降で手数料9%)を提示した。Grabも2億バーツのマーケティング予算を投下して対抗し、「売上9倍ブースト」キャンペーンを打ち出した。最大10,000バーツの販売インセンティブや、運転資金として最大100万バーツのクイックローンを提供するなど、金融サービスも絡めた対抗策を講じた。
この競争の本質は「価格競争」ではなく、将来の市場シェアを賭けた「ロックイン競争」だった。通常の手数料30%前後に対し、7%というレートは、ライダーの配送料やシステム維持費を考慮すれば、取引ごとに損失を生む可能性が極めて高い。にもかかわらず二強が数億バーツの予算を投下したのは、政策終了後の市場シェアを確保するための「顧客・店舗獲得コスト」という名の「戦略的投資」だったためだ。
体力勝負から脱落した競合他社
市場ではRobinhoodとShopeeFoodも「手数料0%」戦略で対抗しようとした。しかしこれは限定的なオファーに留まり、競争力を発揮できなかった。
レストランオーナーにとっての最大の関心事は、手数料以上に注文数だ。「手数料0%」でも注文が10件しか来ないプラットフォームより、「手数料7%」でも注文が100件来るプラットフォームを選ぶ方が合理的だ。LINE MANとGrabは合わせて80%以上の市場シェアと、2,000万人の「コーンラクルン・プラス」ユーザーが利用する「Pao Tang」アプリとの連携という、圧倒的なネットワーク効果を保持していた。
結果として、この「手数料戦争」は数億バーツの「弾薬」を持つLINE MANとGrabにしか参加できない「体力勝負」となった。体力のないRobinhoodとShopeeFoodはこの競争から事実上脱落した。
政策が加速させた市場寡占化
政府の意図は、高すぎる手数料から中小企業を守るため、「単一プラットフォーム選択制」でプラットフォーム間競争を促し、手数料を引き下げることにあった。短期的には、手数料が7%まで低下したため、これは成功した。
しかし、長期的な結果として、この政策は意図せずして市場の寡占化を決定づけた。政策実施のわずか数ヶ月前(2025年5月)、業界大手の一角であったFoodpandaが激しい競争と赤字を理由にタイ市場からの撤退を発表していた。これにより、タイのフードデリバリー市場はLINE MANとGrabの二大企業による寡占体制がほぼ確立した状況で本政策を迎えた。
そして「手数料戦争」は、この二強寡占体制を決定的に強固なものとした。政府は短期的な景気刺激と中小企業支援という目的を達成した一方で、より強力な「寡占プラットフォーム」という新たな課題を生み出すこととなった。
2026年以降の懸念材料
政策の最大の懸念は、政策が終了する2026年1月1日以降に訪れる。中小企業は「手数料の急増」と「売上の急減」という二重苦に直面するリスクを抱えている。
国民側は1日200バーツの補助金がなくなるため、デリバリーの注文を手控えることが予想される。プラットフォーム側は、採算度外視だった手数料7-9%を、即座に標準レート(25%~35%)に戻すインセンティブを持つ。政策期間中に補助金目当ての売上に依存し、デリバリー比率を高めてしまった店舗ほど、この二重苦に直面する。
より構造的な課題は、規制当局が直面する難題だ。市場競争が低下すれば、手数料は再び高止まりし、中小企業の収益性は以前よりも悪化する可能性がある。タイの公正取引委員会や商務省は、2026年以降、二大企業の市場支配的地位の濫用をいかに監視・規制していくかという、より困難な課題に直面することになる。
企業が考慮すべき対応
中小レストラン事業者は、政策終了後の環境変化を見据えた戦略が求められる。デリバリープラットフォームへの過度な依存を避け、自社顧客基盤の構築に注力することが選択肢の一つとなる。LINE公式アカウントなど自社チャネルでの顧客との直接的な関係構築や、店内飲食の魅力向上による来店促進なども検討に値する。
また、プラットフォームとの交渉力を高めるため、業界団体への参加や同業者との情報共有も有効だろう。手数料の急激な引き上げに対しては、集団での対応が効果的な場合がある。
BKK IT Newsとしては、タイ政府が今後、プラットフォーム企業の市場支配力に対して適切な規制枠組みを整備するかどうかが、フードデリバリー市場の健全性を左右する重要な要素になると考える。短期的な景気刺激策が長期的な市場構造にもたらす影響を注視し、必要に応じて制度設計の見直しを行うことが、持続可能な市場環境の構築につながる。
参考記事リンク
- ปิดจ็อบ ‘คนละครึ่งพลัส’ ลงทะเบียนวันแรกเต็มแล้ว 20 ล้านสิทธิ – กรุงเทพธุรกิจ
- LINE MAN ประกาศลด GP เหลือ 7% หนุนร้านค้าร่วมคนละครึ่งพลัส – Brand Inside
- Online food delivery apps compete over stimulus discounts – Bangkok Post
- Thais optimistic about government’s economic stimulus measures – VietnamPlus


