ASEAN10カ国が2年以上にわたり交渉を重ねてきたデジタル経済枠組み協定(DEFA)が実質妥結した。2030年までに2兆ドル規模のデジタル経済圏を目指すこの協定は、データ流通からAI規制まで広範な分野をカバーする。デジタル化が加速する中、ASEAN地域での事業展開を考える企業にとって、この合意が持つ意味は大きい。
2025年10月24日、マレーシアのクアラルンプールで開催された第26回ASEAN経済共同体(AEC)評議会会合において、ASEANデジタル経済枠組み協定(DEFA)の交渉が「実質妥結」したことが発表された。これは、ASEAN10カ国が断片化したデジタル環境を統合し、法的拘束力のあるルールで地域のデジタル経済を促進する画期的な合意である。
実質妥結の背景
DEFAは2023年9月に正式に交渉を開始し、14回にわたる会合を経て今回の実質妥結に至った。「実質妥結」とは、主要な論点がすべて解決され、中核となる条文について広範な合意に達したことを意味する。残された作業は技術的な細部の調整、法的な文言の精査、翻訳などであり、協定の根幹を変更するものではない。
この発表は、ASEAN物品貿易協定(ATIGA)のアップグレード版の署名、ASEAN中国自由貿易協定(ACFTA)3.0アップグレード議定書の署名と同時に行われた。シンガポールのガン・キムヨン副首相は、DEFAの妥結を「重大なブレークスルー」と評価している。
DEFAの狙いとスコープ
DEFAの主要な目標は、デジタル貿易ルールの調和、信頼できる国境を越えたデータ流通の実現、一貫性のある規制の確立を通じて、地域の断片化したデジタル環境の橋渡しをすることである。現在、ASEAN全域で事業を展開する企業は、データプライバシー、デジタル決済、Eコマースに関して10カ国分の異なるルールに対応しなければならない。この複雑な状況は年間150億から200億米ドルのコンプライアンスコストを生み出している。
DEFAは、広範な自由貿易協定(FTA)内の電子商取引章とは一線を画し、デジタル経済に特化した世界初の地域横断的な協定として位置づけられている。そして、これは法的拘束力を持つ文書となる。
協定がカバーする主要分野
協定は以下のような広範な分野をカバーしている。
基礎的規定として、デジタル貿易とペーパーレス貿易の促進、国境を越えたデータ流通の枠組み、個人データ保護、デジタル決済と電子インボイスの相互運用性、サイバーセキュリティとオンラインの安全性に関する協力が含まれる。
特に重要なのは、データローカライゼーション(国内でのデータ保存義務)要求の禁止に関する規定である。これにより、クラウドコンピューティング、AI開発、データセンターへの海外直接投資(FDI)を誘致する環境が整う。
新興技術分野では、人工知能(AI)のガバナンスに関する協力、ソースコード保護、人材の流動性とデジタルリテラシーに関する協力規定、競争政策が盛り込まれている。
AIやソースコード保護といった最先端の課題を盛り込むことで、DEFAはデジタル貿易協定の新たな基準を打ち立てている。政府が市場参入の条件としてソースコードへのアクセスを要求することを禁止する規定は、テクノロジー企業が最新技術を地域に投資・展開することを奨励する。
合意に至るまでの経緯
DEFA構想は、2021年に採択されたバンダルスリブガワン・ロードマップ(BSBR)における行動項目として位置づけられている。BSBRは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)パンデミック後のASEANの経済回復とデジタル経済統合を加速させるためのアジェンダとして策定された。
パンデミックは、デジタル化を劇的に加速させ、統合された地域デジタル市場の経済的必要性を露呈させた重要な触媒であった。交渉は米国の関税措置や広範な貿易摩擦を含む世界経済の不安定さを背景に進められた。DEFAは、ASEANの経済的強靭性を強化し、世界的な貿易の不安定さから地域を隔離し、その集団的な競争力を高めるための手段と見なされている。
交渉委員会の議長国をタイに委ねたことは戦略的な選択であった。タイはASEAN内の中間国と見なされ、より中立的な仲介役として機能することができた。タイは残された課題の解決を促し、2026年第1四半期までに交渉を妥結させ、同年の署名を可能にするという確固たる期限を設定するなど、交渉を妥結に導く上で重要な役割を果たした。
期待される経済効果
現在、ASEANのデジタル経済の価値は約3,000億米ドルと評価されている。DEFAがなければ、2030年までに1兆米ドルに成長すると予測されている。DEFAが成功裏に実施されれば、このポテンシャルは2030年までに2兆米ドルへと倍増する可能性がある。
この2兆ドルという数字は、統合がもたらすネットワーク効果、すなわちコスト削減、貿易量の増加、FDIの拡大、そして調和された市場が可能にするイノベーションの加速によってもたらされると期待されている。協定は年間300億から500億米ドルと予測される大規模な海外直接投資(FDI)を誘致することを目指している。
MSMEへの影響
零細・中小企業(MSME)は、全企業の97%以上を占め、雇用の85%を創出するASEAN経済の屋台骨である。しかし、ASEANに存在する7,100万社のMSMEのうち70%は、各国の異なる規制を乗り越えるためのリソースを欠いている。
DEFAは、デジタル規制の合理化、Eコマースへのアクセス改善、国境を越えた取引コストの削減を通じて、MSMEを直接支援することを目指している。デジタル決済、税関、Eコマースに関するルールを簡素化することで、地域市場へのアクセスが民主化される可能性を秘めている。
ただし、MSMEがこれらの新たな機会を実際に活用するためには、デジタルリテラシーや資金へのアクセスといった課題が残る。DEFAの枠組みとMSMEの実践的なニーズとの間には潜在的なミスマッチが存在する。能力開発や金融包摂に焦点を当てた各国レベルのプログラムが並行して実施されなければ、その影響は限定的なものになる可能性がある。
透明性に関する懸念
デジタル権擁護団体、労働組合、消費者団体などからなる市民社会組織(CSO)の連合は、DEFAの交渉プロセスについて深刻な懸念を表明している。主な批判は、透明性と意味のある市民参加の欠如であり、協定の草案や各国の提案書へのアクセスが一切認められなかったことである。
CSOは、企業やテクノロジー関連のロビイストとは協議が行われた一方で、CSOは排除されたと主張している。WTOやRCEPといった他の貿易交渉における透明性の前例を挙げ、交渉テキストの完全な公開を要求している。
CSOの懸念は、企業の利益が優先されたプロセスが、テクノロジー大手の独占を固定化し、消費者保護を弱め、公共の利益のために規制を行う政府の能力を制限するルールにつながる可能性があるという点にある。
実施における課題
実施における主要な課題は、経済発展、規制能力、デジタルインフラ、スキルといった面でのASEAN内の著しい多様性である。この「デジタルデバイド」への対処は、不均衡が統一的な導入を妨げ、不平等を拡大させる可能性があるため、極めて重要である。
シンガポールで容易に実施できるルールが、カンボジアやラオスにとっては乗り越えられない負担となる可能性がある。協定には、東ティモールのような新規加盟国に対する移行期間を設けるなど、柔軟性が必要となる。
DEFAの真の試金石は、その法文の洗練さよりも、むしろ開発の遅れた加盟国を底上げするための、地道で長期的な資金提供と効果的な能力開発プログラムの実施にある。
今後のスケジュール
実質妥結を経て、協定は2026年末までに最終化され、正式に署名される予定である。2026年のASEAN議長国であるフィリピンが署名式を主催することが期待されている。
「実質妥結」から「署名」まで1年以上の期間が設けられていることは、meticulous な法務・技術作業に十分な時間を確保するためである。また、ASEAN関係者は「真の利益は、協定の完全な妥結、時宜を得た署名、そして効果的な実施によってのみ実現される」と繰り返し強調している。
企業が取るべき対応
企業は今からデジタル戦略をDEFAの規定に整合させ始めることが考えられる。地域的なデータ管理フレームワークへの投資、国境を越えたEコマースの機会の探求、各国の政府と連携した具体的な実施スケジュールやMSME支援プログラムの理解といった選択肢がある。
デジタル関連事業を地域展開している企業にとって、DEFAは規制の複雑さを軽減し、事業拡大のコストを削減する機会となる。特にデータローカライゼーション要求の禁止は、クラウドサービスやデータ分析事業にとって大きな意味を持つ。
一方で、BKK IT Newsの見解では、協定の実施段階で各国の規制能力の違いが顕在化する可能性がある。先進的なデジタル規制を持つ国と、基盤整備が遅れている国との間で、実質的な二層構造が生まれるリスクは無視できない。企業は各国の実施状況を注意深くモニタリングし、地域戦略を柔軟に調整していく必要がある。
参考記事リンク
- ASEAN ECONOMIC COMMUNITY COUNCIL STATEMENT ON THE SUBSTANTIAL CONCLUSION OF DEFA NEGOTIATIONS
- Asean set to sign digital economy agreement in 2026 to boost cross-border trade, services
- ASEAN takes major step toward landmark digital economy pact | World Economic Forum
- The Digital Economy Framework Agreement: ASEAN’s Anchor in a Turbulent Digital Economy
- Policy Brief – Understanding the ASEAN Digital Economy Framework Agreement: A Means to Support ASEAN Integration


