タイの映画産業が国際的な拠点として確固たる地位を築いた。米国映画協会(MPA)の加盟スタジオが2022年から2024年の3年間にタイへ投じた投資額は、累計3億9,500万ドル(約130億バーツ)に達している。10月22日から23日にバンコクで開催された記念イベント「タイのサクセスストーリー」では、この成功要因と今後の戦略が世界に向けて発信された。
ハリウッドの大作がタイを選ぶ理由
3億9,500万ドルの投資で実現したプロジェクトは、ユニバーサル・ピクチャーズの『ジュラシック・ワールド:リバース』やFX/Huluの『エイリアン:アース』といったハリウッドの大作から、Netflixで世界的にヒットしたタイのオリジナルシリーズ『マッド・ユニコーン』まで多岐にわたる。これら17件の主要プロジェクトが、タイが単なるロケ地提供国ではなく、多様な規模やプラットフォームのコンテンツ制作に対応できる総合的な製作能力を持つハブであることを証明した。
イベントで特に強調されたのが、タイ政府によるデジタル著作権侵害対策の成功である。特別捜査局(DSI)、経済犯罪制圧局(ECD)、そして業界団体ACEが連携して実行した「DEVシャットダウン作戦」は、10年以上活動してきた国内最大の違法IPTVプロバイダー「INWIPTV」を摘発し、サービスを停止に追い込んだ。MPAの執行副社長ラリッサ・ナップ氏は「政府機関と業界の効果的な協力モデルであり、世界中の投資家の信頼を築くもの」と高く評価した。知的財産保護がハリウッドの投資判断における根幹的な前提条件であることを考えれば、この成功は極めて戦略的な意味を持つ。
政府主導の統合的エコシステム
タイの成功は、財政的インセンティブ、制度的支援、文化政策を組み合わせた、政府主導の緻密な戦略的エコシステムの成果である。
最も強力な誘致策が、国際的に見て極めて競争力の高いキャッシュリベート制度だ。タイ国内での最低支出額が5,000万バーツに達したプロジェクトは15%の基本リベートを受け取る。さらに、タイの観光・文化促進への貢献、主要役職へのタイ国籍スタッフ雇用、地方都市での撮影、国内ポストプロダクション作業の実施、大型案件であることなどの条件を満たすことで、最大30%まで還付率が上昇する。2025年1月1日に実施された還付上限額の撤廃は、数百億円規模の超大作を誘致する上での障壁を完全に取り除いた。
政策の司令塔として機能するのが、首相直属のタイ・クリエイティブ・カルチャー・エージェンシー(THACCA)である。国家戦略としてクリエイティブ経済を推進するという高いレベルでの政治的コミットメントを象徴する組織で、官僚主義的な障壁の撤廃、検閲制度の緩和、タイ文化と世界のエンターテインメント市場との架け橋となることを目指す。2025年には2億バーツ規模の製作助成金のほか、オリジナルIP開発や若手映画監督育成を目的とした基金設立が計画されている。
実務的な窓口を担うのが、観光・スポーツ省観光局傘下のタイ・フィルム・オフィス(TFO)である。撮影許可証の発行、関連省庁との調整、ロケーションハンティングの支援など、事実上のワンストップ・サービスを提供し、外国チームが直面する煩雑な手続きを大きく簡素化している。
半世紀の蓄積が花開く
タイが国際的な撮影拠点として発展してきた歴史は半世紀以上にわたる。1970年代には『007 黄金銃を持つ男』や『ディア・ハンター』がタイで撮影され、その多様な風景が世界の注目を集めた。ベトナム戦争とその後のインドシナ情勢が不安定だった時代、タイは地理的近接性と政治的安定性から、ハリウッドにとって重要な「代理ロケ地」として機能した。『キリング・フィールド』『グッドモーニング, ベトナム』などがタイで撮影された。
この時代に、タイの現地クルーはハリウッドの大規模な製作チームと共に働く中で、国際基準の撮影技術、制作管理手法、プロフェッショナルな仕事倫理を現場で学んだ。政策や教育プログラムでは再現不可能な、実践的な「人的資本」の蓄積プロセスだった。
長年、タイは特別なインセンティブがなくともその魅力だけで外国映画を惹きつけてきた。しかし、世界の映画産業誘致競争が激化する中で、政府は2017年に初の公式な財政的インセンティブ制度を導入した。当初15-20%で始まったリベート率は、マレーシアなど近隣諸国との競争を意識して現在の最大30%へと強化された。
タイが本来持つ根本的な魅力も最大の競争優位性であり続けている。バンコクの近代的な超高層ビル、プーケットやクラビの美しいビーチ、熱帯雨林のジャングル、荘厳な古代寺院まで、一つの国の中で考えうるほぼ全ての風景が手に入る。撮影監督から美術デザイナー、VFXアーティストに至るまで、高度な専門技術を持つプロフェッショナルが豊富に存在し、国際的なプロジェクトでの経験が豊富でありながら、欧米に比べて人件費が抑えられる。最先端の機材を備えた世界クラスの撮影スタジオやポストプロダクション施設といったインフラも充実している。
経済効果とフィルムツーリズム
2024年には491件のプロジェクトから66億バーツの収益が生まれた。2025年には強化されたインセンティブ制度の効果が本格化し、当初目標の75億バーツを上回る100億バーツに達すると予測される。
この経済効果の特徴は、恩恵が広範なセクターに分配されることだ。製作費の使途は、タイ人スタッフ・キャストへの人件費が38%、撮影機材のレンタル費が22%、宿泊・飲食・交通といった関連サービス費が21%と多岐にわたる。高級ホテルやレストランから、撮影地の地域コミュニティにある小規模なサービス業者まで、様々なビジネスが潤う。Netflixは2021年から2024年の間に13,500人以上のタイ人を雇用し、タイを東南アジアのコンテンツハブとして位置づけている。Netflixの2億ドル投資がタイのクリエイティブ産業に与える影響は大きい。
外国映画はタイにとって効果的なグローバル・マーケティングツールとして機能し、フィルム誘発型観光を生み出している。中国映画『ロスト・イン・タイランド』の大ヒット後、タイを訪れた中国人観光客は前年比68.7%増加した。Netflixのドラマ『信者』はスパンブリー県の寺院への関心を高め、『タイ洞窟の救出劇』はタムルアン洞窟を一大観光名所へと変貌させた。タイドラマの国際的な成功は「T-Wave」という文化現象として認識されるまでになっている。政府がキャッシュリベート制度に「地方都市での撮影」に対して3%の追加インセンティブを設けたのは、フィルムツーリズムの効果を戦略的に活用し、観光客の流れを過密な主要都市から地方へと誘導する能動的な経済・社会政策の一環である。
課題と今後の展望
成功の裏で、タイの映画産業はいくつかの課題に直面している。大規模な撮影隊の受け入れは、特に自然豊かなロケ地において環境破壊のリスクを伴う。2000年公開の映画『ザ・ビーチ』の撮影がマヤベイの環境に大きなダメージを与えた事例は苦い教訓として記憶されている。近年、政府は撮影隊に損害補償のための保証金預託を義務付けるなど、より厳格な環境保護規制を導入した。経済的利益と環境保護のバランスが、持続可能な発展の鍵となる。
業界内で根強く懸念されているのが、政権交代に伴う政策変更のリスクである。THACCAの基金やキャッシュリベート制度といった産業の生命線ともいえる支援策が、将来的に変更または廃止される可能性はゼロではない。長期的な投資家の信頼を維持するためには、政治状況に左右されない安定的かつ予測可能な政策環境の保証が不可欠となる。
タイは今後、現在の成功を足がかりに、ポストプロダクションやVFX分野への投資を強化し、企画開発から撮影、仕上げまでを一貫して行える「フルサービス・ハブ」としての地位を確立していく可能性が高い。バンコク国際映画祭の再開は、コンテンツの売買や共同製作のマッチングの場として、その動きをさらに加速させるだろう。BKK IT Newsは、アジアのクリエイティブ産業における新たな協力と投資のフロンティアが切り拓かれつつあると見ている。
参考記事リンク
- Hollywood Investment Surges as Thailand Solidifies Global Film Hub Status
- Thailand pushed as world-class film location to drive sustainable tourism
- Thailand Entices International Filmmakers with Incentives After “White Lotus” Success
- Thailand stakes its claim as a global creative force at Cannes
- Thailand eyes B10bn from foreign film production


