タイ企業のデジタルトランスフォーメーションが転換点を迎えている。デロイトの最新調査によると、タイ企業の44%が「Doing Digital(デジタルの実行)」段階に留まり、生成AI活用では世界と大きな差が開いている。経営層の95%がGenAIの専門知識不足を認め、8万人のAI専門家が不足する深刻な状況だ。
DX成熟度の停滞と業務効率化の限界
デロイト タイランドが2024年9月から2025年1月にかけて実施した調査では、タイ企業のDX成熟度が前年とほぼ変わらない状況が明らかになった。全体の44%が「Doing Digital」段階に位置し、デジタル技術を特定部門で活用しているものの、全社的な戦略としては統合できていない。「Becoming Digital」が28%、「Being Digital」が15%という分布は、多くの企業が次の段階への移行に苦慮している現状を示している。
DXによる成果としては、従業員の生産性向上が67%と最も高く、顧客体験の改善が61%、コスト削減が58%と続いた。これらは既存業務の効率化に焦点を当てた成果であり、ビジネスモデルの変革といった戦略的なDXには至っていないことがうかがえる。
COVID-19パンデミックはタイ企業のデジタル化を加速させた。ロックダウンや社会的距離の確保により、多くの企業がリモートワークやオンライン販売などを急遽導入した。しかし、時間の経過とともに、テクノロジーを導入したという事実と、組織全体がデジタル化されることには大きな差があることが明らかになった。多くの企業が自らの評価を下方修正し、より現実的な現在地を認識するに至っている。
生成AIにおける深刻な格差
調査で最も注目すべきは、GenAIに関する経営層の意識の低さだ。タイのリーダーの95%がGenAIに関する専門知識の不足を認めており、自身の専門知識レベルを「高い」または「非常に高い」と評価したリーダーはわずか5%に過ぎない。これは世界平均の44%と比較して極めて低い水準だ。
経営層がGenAIの可能性とリスクを根本的に理解していなければ、明確なビジョンや戦略を策定することは困難だ。このリーダーシップの欠如が、GenAI導入における最大の障壁である「導入戦略の欠如」(32%)に直接結びついている。
経営層内での認識のズレも深刻だ。取締役会やCEOの約60%が「自社はGenAIに十分な注意を払っていない」と考えているのに対し、CIOやCTOの80%以上は「適切なレベルで注力している」と信じている。この認識の乖離は、経営トップが求めるビジネスインパクトを伴う戦略的変革と、技術部門が進めるツール導入という戦術的実行との間に大きな隔たりがあることを示している。
現場レベルでは、GenAIツールの活用は進んでいる。主な利用用途は検索・ナレッジマネジメントが68%、コンテンツ要約が54%、コンテンツ生成が50%と、いずれも業務効率化に直結するものだ。GenAIはビジネスモデルを変革する戦略的ドライバーとしてではなく、個人や部門の生産性を向上させる戦術的ツールとして導入・活用されているのが実態だ。
「二層AI経済」のリスク
Amazon Web Services(AWS)の報告書は、タイで進行する「二層AI経済」という危険な兆候を警告している。スタートアップがイノベーションを牽引する一方で、大企業や中小企業がその潮流から取り残されるという二極化だ。
AIを導入しているスタートアップのうち40%が、AIを駆使した全く新しい製品やサービスを開発しているのに対し、同じくAIを導入している大企業で同様のイノベーションに取り組んでいるのはわずか16%に過ぎない。中小企業に至っては、AIを高度な用途に活用しているのは9%に留まる。
もし経済の大部分を占める大企業と中小企業がAIをイノベーションに活用できなければ、タイ経済は一部のセクターで生産性が向上するものの、AIがもたらすより大きな経済成長の波を逃すことになる。革新的な一部のテックセクターと、停滞する広範な伝統的経済との間の格差がますます拡大するリスクがある。
8万人のAI専門家不足という危機
スキルを持つ人材の不足は、企業がGenAI導入をためらう最大の理由であり、AI全般の活用拡大を妨げる主因となっている。タイは8万人のAI専門家人材の不足に直面していると推定され、より広範なデジタル人材の不足は2027年までに60万人に達すると予測されている。
需要と供給のアンバランスは極めて深刻で、企業はAIスキルを持つ候補者に対して平均で36%高い給与を提示せざるを得ない状況にある。2024年の労働市場では、AI関連スキルへの需要が37%以上も増加したと報告されている。
この人材危機の根源は、国家の教育システムそのものにある。世界銀行の報告書は、タイの若者と成人の多くが、基本的な読解力やデジタルスキルさえ欠いている「深刻なスキル危機」にあると指摘している。「タイランド4.0」への若者の準備状況を調査した研究では、最もスコアが低かったスキルセットが「デジタル・情報スキル」であったという結果も出ている。
学校におけるインターネットアクセスの格差、生徒17人に対してPC1台という劣悪な環境、時代遅れのカリキュラムといった、システム全体にわたる構造的問題が存在する。16歳から19歳の若者のうち、インターネットをeラーニングに利用しているのはわずか17%であるのに対し、97%がソーシャルメディアに利用しているというデータは、教育におけるデジタル活用の失敗を象徴している。
ASEAN域内での競争激化
シンガポールは、AI時代の到来を早期に予見し、2017年にはすでに政府資金による「AIアプレンティスシップ・プログラム(AIAP)」を創設した。これは6ヶ月から9ヶ月間にわたる集中的なプログラムであり、参加者は給与を受け取りながら実際の産業界のプロジェクトに取り組む。90%を超える驚異的な就職率を誇り、これまでに400人以上の即戦力となる高度なAIエンジニアを育成してきた。
マレーシアは、包括的な「国家AIロードマップ(AI-Rmap)2021-2025」を策定し、人材育成、ガバナンス、インフラ整備といった明確な戦略的柱を打ち出した。さらに、政府、産業界、学術界、社会が連携する「四重らせん」モデルを推進する中央機関として「国家AIオフィス(NAIO)」を設立した。
タイと比較すると、その戦略思想の違いは歴然としている。シンガポールの戦略は「人材中心」かつ「実行重視」であり、マレーシアの戦略は「包括的」かつ「中央集権的」である。これに対し、タイのアプローチは「断片的」かつ「受動的」と評価せざるを得ない。
一貫性のある、十分に資金供給された国家戦略の欠如こそが、タイが近隣諸国に遅れを取っている根本的な原因である。シンガポールとマレーシアがAI時代に必要な人的資本と制度的資本を積極的に構築しているのに対し、タイの進歩は個々の企業の自助努力に委ねられている。
企業が取るべき道
企業は、経営層のAIリテラシー向上を最優先課題とすべきだ。取締役会および経営幹部は、コスト削減という視点を超え、AIの戦略的重要性を理解するための専門的な研修を受ける必要がある。
個別のユースケースの追求から脱却し、技術投資と中核的な事業目標を結びつける明確な全社的AI戦略を策定することが重要だ。既存従業員がAI関連の役割に移行できるようなキャリアパスを整備し、社内のアップスキリングおよびリスキリングプログラムに重点的に投資すべきだ。
AIは、タイ経済に莫大な利益をもたらす潜在能力を秘めている。ある試算では、2030年までにAIがタイ経済に2.6兆バーツの価値を創出し、効果的に導入されればGDPを大幅に押し上げる可能性があるとされている。イノベーションの促進、生産性の向上、新たなビジネスモデルの創出を通じて、AIはタイが「中所得国の罠」から脱却するための強力なエンジンとなりうる。
しかし、その恩恵が社会全体に公平に行き渡る保証はない。AI技術を導入し活用できる一部の先進的な企業やセクターと、取り残された大多数の伝統的な企業や労働者との間の溝は、ますます深まる可能性がある。BKK IT Newsとしては、企業は今こそ人材投資とAI戦略の明確化に取り組むべき時期だと考える。
参考記事リンク
- Deloitte Thailand Digital Transformation Survey 2025 | Deloitte Southeast Asia
- Thai organisations on the right digital track – Bangkok Post
- Local AI growth threatened as a result of skills shortages – Bangkok Post
- Thailand AI Readiness Assessment Report 2025 – TDRI
- Empowering Thailand: A Call for Action to Strengthen Foundational Skills – World Bank


