タイのプーケットでAIシティ構想が正式に発表された。タイのデジタル経済社会省(DES)が主導するこの計画は、世界的な観光地として知られる島を、デジタルイノベーションとAI研究の地域拠点に変貌させることを目指している。COVID-19パンデミックで露呈した観光依存型経済の脆弱性を受け、デジタル産業を基盤とする新たな経済の柱を築く戦略的な取り組みである。
観光依存からの脱却
プーケットの経済はGDPの90%以上を観光業が占める極端な依存構造にある。この脆弱性はパンデミック期間中に深刻な経済的損失という形で明らかになった。AIシティ計画は、この危機への直接的な対応として位置づけられている。
この構想には、島内にテクノロジーパーク、研究所、ビジネスインキュベーター、トレーニングセンターの設立が含まれる。政府高官の発言によれば、プーケットを「ビーチ」だけでなく「イノベーションの中心地」としても認知させることを狙いとしている。
計画は全くのゼロからではない。プーケットは2021年5月にタイの「パイロット・スマートシティ」の一つに指定され、スマートバス、公共Wi-Fi、統合監視カメラネットワークなど40以上のスマートプロジェクトを実施してきた。2025年9月の「AIシティ」発表は、既存プロセスを加速させブランドを再構築する戦略的な動きと言える。
3つの技術的柱とパイロットプロジェクト
AIシティ構想の具体的な内容は、医療、交通、環境という3つの分野に集約されている。
医療分野では、プーケット県とCT Asia Robotics社の間でMOUが締結された。3台のAI医療支援ロボット「Dinsaw」がヴァチラ・プーケット病院に導入される計画で、2026年初頭の配備が見込まれる。このロボットは初期健康診断や予備的診断を行い、病院データベースに直接接続することで医療スタッフの負担軽減と診断精度の向上を目的としている。またタイ食品医薬品局(FDA)によるAIがんスクリーニングシステムの導入も計画されている。
交通管理では、シンガポールの「スマートモビリティ2030」構想をモデルに包括的なAI交通管理システムの導入が計画されている。総事業費4億バーツを投じ、島内85カ所の交差点にカメラを設置し、中央管理室からリアルタイムデータに基づいて40秒ごとに信号を調整することで交通渋滞を30~40%削減することを目標としている。このシステムは、総工費600億バーツの高速道路およびトンネルプロジェクトによって補完され、2029年から2030年の完成を目指している。
環境管理では、AIを用いた汚染削減、ごみ収集車のルート最適化、リサイクル率向上が計画されている。タイのビッグデータ研究所(BDI)は、プーケット当局と協力し「Envi Link」と呼ばれるデータプラットフォームを開発しており、ビッグデータとAIで環境要因を監視・管理し、特に二酸化炭素排出量削減を主要な目標としている。
タイランド4.0と国家AI戦略の具現化
プーケットAIシティ構想は、タイの国家戦略「タイランド4.0」を具現化する直接的な取り組みである。この国家戦略は、タイを従来の製造業ベースの経済からイノベーション主導型の高所得国へと移行させることを目的としている。
構想は2022年7月に閣議承認された「国家AI戦略(2022-2027年)」とも密接に連携している。この戦略は2027年までに経済成長と生活の質を向上させる効果的なAIエコシステムを構築するビジョンを掲げており、医療、観光、行政サービスという重点分野は、プーケットの初期プロジェクトが対象とする領域と一致している。
タイ政府は2026年度および2027年度の国家AI開発のために250億バーツの予算枠を承認している。この予算はAI人材育成に60億バーツ、AI中核的研究拠点(CoE)の設立・運営に50億バーツ、国家データバンクの設立に20億バーツが配分されている。プーケットで実施されるプロジェクトは、この国家的枠組みを通じて資金提供を受ける見込みである。
官民連携の基礎的役割
AIシティ構想の推進において官民連携(PPP)は不可欠な要素として位置づけられている。CT Asia Robotics社とのMOU締結は、地元のタイ企業が持つ技術力を活用する戦略を示している。2009年に設立されたCT Asia Robotics社は、タイおよびASEAN地域におけるサービスロボット分野の先駆者として実績を積んできた。
このような連携モデルは、プーケット・シティ・デベロップメント社(PKCD)にも見られる。PKCDは地元の民間企業連合であり、島の初期「スマートシティ」プロジェクトにおいて重要な役割を果たしてきた。また、「スマートエリア」として認定された「プーケット・ティニコン・バレー」プロジェクトも、民間セクター主導でスマートシティのアジェンダを推進する事例である。
実行における財政的枠組み
プーケットAIシティ構想の財政的基盤は、単一の巨大な予算ではなく国家レベルの戦略的投資とプロジェクトごとの資金調達を組み合わせた複合的モデルに基づいている。
「プーケットAIシティ」全体を対象とした統合予算は公式には発表されていないが、プーケットで実施されるプロジェクトは国家的枠組み、特に観光や医療といった分野のCoEを通じて資金提供を受けることが見込まれている。4億バーツ規模のAI交通管理システムは個別のプロジェクト予算として計上されており、プロジェクトベースで柔軟に資金を配分するアプローチが取られている。
この資金調達モデルは柔軟性を持つ一方で、プロジェクト間の連携不足や重複した取り組み、都市全体としての一貫した統合システムの欠如といったリスクも生じさせる。構想全体の成功は、県政府とデジタル経済振興庁(depa)の調整能力に大きく依存することになる。
タイムラインと主要マイルストーン
AIシティ構想全体の長期的なタイムラインは依然として不明確だが、短中期的なマイルストーンは明確になっている。2025年9月には全国のAI中核的研究拠点(CoE)が行動計画を提出した。2026年初頭にはヴァチラ・プーケット病院でAIロボット「Dinsaw」の導入が計画されている。2027年にはタイ全土で105のスマートシティを設立するという国家目標の達成期限を迎える。2029年から2030年にはモビリティを支える主要な高速道路プロジェクトの完成が目標とされている。
2027年までに105のスマートシティを設立するという国家目標は、プーケットのプロジェクトに政治的な期限を設定し、その進行を加速させる要因となっている。プーケットは注目度の高い「パイロット」プロジェクトとして、国家戦略の有効性を証明するために迅速かつ目に見える進捗を示す必要がある。
ガバナンスのエコシステム
構想の実行は、国、県、民間セクターが連携する多層的なガバナンス体制によって支えられている。
国家レベルでは、デジタル経済社会省(DES)が全体戦略を策定し、首相が議長を務める国家AI委員会が実行を主導している。デジタル経済振興庁(depa)はスマートシティプログラムの推進とデジタル産業育成を担う主要な実行機関である。ビッグデータ研究所(BDI)はデータプラットフォームの開発を支援している。
県レベルではプーケット県知事室がMOUの署名や現場での実行調整を行う主要な地方自治体となっている。民間セクターおよび市民社会では、CT Asia Robotics社のような企業が重要な技術パートナーであり、プーケット・シティ・デベロップメント社(PKCD)のような企業連合が共同投資や開発における組織化された民間セクターの役割を代表している。
経済的予測と競争力
AIシティ構想の最も直接的な目標は、プーケットの経済構造を変革しタイ全体の国際競争力を高めることである。
主要な目標は、観光業以外の新たな経済の柱としてハイテク産業への国内外からの投資を誘致することである。タイのスマートシティ構想は2021年以降、既に309億バーツを超える民間投資を呼び込んでおり、プーケットはこの流れをさらに加速させることが期待されている。
構想が成功すれば、プーケット、ひいてはタイは東南アジアにおけるテクノロジーハブとしての地位を確立し、特にシンガポールなどの既存拠点や他の新興国との競争においてより信頼性の高い競争相手となる見込みである。
AIとデータ分析は既存の観光業を代替するのではなく強化する役割を果たす。「Travel Link」のようなプラットフォームは観光客の動向をより正確に把握し、ターゲットを絞ったマーケティングや効率的な観光資源管理を可能にする。これにより新たなテクノロジー経済が伝統的な経済を支える相乗効果が生まれる可能性がある。
社会的側面と課題
経済的な変革は社会的な影響を伴う。計画は、デジタル経済に対応できるタイ人労働者のスキルアップとリスキリングを必要とし、同時にそれを支援する。国家AI予算のうち60億バーツが人材育成に特化して割り当てられており、国家戦略全体としても人的資本の開発が重視されている。
最も重大な批判の一つは、プロジェクトの恩恵が地元コミュニティに行き渡らない可能性である。AIシティが包摂的な成長のエンジンとなるのではなく、「外国企業と富裕な投資家のための飛び地」になってしまうという大きなリスクが存在する。プロジェクトの成功は、グローバルな魅力を持ちつつ地域社会に統合されるという微妙なバランスにかかっている。
成功すれば、より効率的な医療、安全で迅速な交通、よりクリーンな環境を通じて、住民の生活の質は大幅に向上する可能性がある。タイのインターネット利用者の91%が日常生活でAIを利用しているという高い受容率は、これらの変化が社会に受け入れられやすい土壌があることを示唆している。
インフラと環境の持続可能性
プーケットはAIシティ構想が始まる以前から、交通渋滞、不十分な廃棄物管理、限られた土地利用、洪水や水不足といった気候関連のリスクなど重大なインフラ課題に直面している。批評家たちは、厳格な環境保護措置や大幅なインフラ改善なしに大規模なテクノロジーハブを建設することは、これらの問題をさらに悪化させ生活の質を向上させるという本来の目標を損なう可能性があると警告している。
島嶼という地理的特性から、プーケットは気候変動の影響を特に受けやすい。「Urban-Act」プロジェクトのような取り組みは「スポンジ・シティ」設計などを通じて気候変動への強靭性を高めようとしているが、これらの努力はAIシティの都市計画の中核に統合されなければその効果は限定的となるだろう。
企業への影響
プーケットAIシティ構想は、タイでビジネスを展開する日系企業を含む多くの企業に影響を与える可能性がある。
新たな投資機会として、テクノロジーパークやビジネスインキュベーターの設立は、AI関連技術やサービスを提供する企業にとってビジネス機会となる。プーケットの開発プロジェクトに参入することで、タイ政府の戦略的プロジェクトへの関与を深めることができる。
人材戦略の面では、AI人材育成に60億バーツが投じられることで、将来的にタイ国内で高度なデジタルスキルを持つ人材の確保が容易になる可能性がある。企業は自社の人材開発戦略をこの国家的な取り組みと連携させることで、効率的なスキルアップを図ることができる。
ただし、プロジェクトが地元コミュニティに統合されず「飛び地」化するリスクには注意が必要である。企業は社会的包摂性を重視した投資戦略を検討することで、長期的な持続可能性を確保する必要がある。
また、交通管理、環境監視、医療サービスなどの分野で先進的なAIソリューションが導入されることで、これらの技術をタイ国内の他の地域や自社の事業に応用する機会が生まれる可能性がある。
今後の展望
プーケットAIシティ構想は、観光依存型経済からの脱却とデジタル産業育成という二重の目標を掲げた野心的な計画である。タイランド4.0や国家AI戦略といった国家レベルの政策が、ビジョン、政策的枠組み、資金調達のメカニズムを提供し、プーケットの地方政府と民間セクターが、持続可能な成長を遂げるために多様化が不可欠な経済的現実に直面している。
2027年までに105のスマートシティを設立するという国家目標の達成期限を控え、プーケットは短期的に目に見える成果を示す必要に迫られている。Dinsawロボットの導入や交通管理システムといった具体的なプロジェクトが、この戦略的期間内に実現されることが期待されている。
BKK IT Newsは、この構想の成否が、技術導入と並行して環境保護、インフラ整備、社会的包摂性を最優先する統合的なガバナンスモデルの構築にかかっていると見ている。プロジェクトの恩恵を地域社会全体に広げ、既存のインフラ課題に適切に対処することができれば、プーケットは真に持続可能で包摂的なデジタル未来を実現する可能性を持っている。
参考記事リンク
- Phuket AI City to Transform Tourism Island into Tech Hub | Burma Insight
- Phuket Pushes Forward With Its Groundbreaking AI City Project | Globe News Bangkok
- Phuket forges ahead with AI City plan – Bangkok Post
- Annual Report 2023 – AI Thailand
- Thailand Commits ฿25 Billion to Drive AI Development Through 2027