タイのバンコクオフィス市場が歴史的な転換点を迎えている。2025年第2四半期のデータによると、市場全体の稼働率が76.8%まで低下し、供給過剰の影響が鮮明になった。新規供給の大量投入とハイブリッドワークの定着が重なり、市場の力学が完全にテナント優位へと変化している。
パンデミック前の楽観論から現在の現実へ
現在の供給過剰は、パンデミック以前の楽観的な経済見通しに基づく開発計画が引き金となっている。2019年以前に計画・着工された大規模プロジェクトが、パンデミック後の2024年から2026年にかけて集中的に竣工を迎えている。
当時のタイ経済は年率3.2%の堅調な成長を続けており、オフィス需要も旺盛だった。しかし、感染拡大防止規制や労働力不足により建設工事が遅延し、本来であれば数年間にわたって分散供給されるはずだったオフィススペースが、短期間に集中投入される結果となった。
バンコクのBTSやMRT等の公共交通網拡大も、オフィス供給増加に拍車をかけた。駅徒歩圏内の立地優位性により、デベロッパーは新路線沿線に競ってオフィスビルを建設した。この交通網拡大は、ビジネスエリアの地理的拡散と総供給量の押し上げを同時に実現した。
大量供給と低迷需要の深刻なミスマッチ
2025年第2四半期、バンコクのオフィス総ストックは約642万平方メートルに達した。APAC Tower、KingBridge Tower、BTS Visionary Park、One Origin Sanampaoの4棟が新たに竣工し、約18万平方メートルの新規供給が市場に投入された。
供給増加は今後も継続する見込みだ。2025年下半期にはさらに約25万平方メートル、2025年から2027年にかけては約59万7,000平方メートルの新規供給が予定されている。特に注目すべきは、バンコク中心部の超大型複合開発プロジェクト「One Bangkok」で、2024年後半から順次開業し、今後数年間にわたって段階的に巨大なオフィススペースを市場に放出し続ける。
一方で需要は極めて低調だ。2025年第2四半期の成約面積は約20万平方メートルと好調に見えるが、その大部分は新築ビル所有者の自社利用分であり、純粋な賃貸需要ではない。SCB Economic Intelligence Centerは、タイ経済の成長鈍化やハイブリッドワークの定着により、2025年のオフィス需要の伸び率をわずか1%と予測している。
ESGと「質への逃避」が市場を二極化
供給過剰下でも、すべてのビルが同じ影響を受けているわけではない。テナントは質の高いオフィスを求めて移動しており、市場の二極化が顕著に進んでいる。
2025年第2四半期、最高級ビル(グレードA)の稼働率は75.3%、中級ビル(グレードB)は74.0%に低下した一方、低価格帯ビル(グレードC)の稼働率は80.5%に上昇した。これは、最新設備を求める層と徹底的なコスト削減を図る層への分化を示している。中途半端な品質と価格帯にある中級ビル(グレードB)が、両方向からの圧力に晒され、最も厳しい状況に置かれている。
特に注目すべきはESG認証ビルへの需要集中だ。2024年の純吸収面積を見ると、グリーン認証ビルがプラス95,700平方メートルだったのに対し、非グリーンビルはマイナス40,700平方メートルを記録した。企業のサステナビリティ目標達成と優秀な人材確保の観点から、ESG認証は「付加価値」から「必須条件」へと変化している。
現在の供給ラッシュで市場に投入される新築ビルの多くはLEED Gold認証基準を満たしており、バンコクのグリーンビルディング総面積は228万平方メートルまで拡大した。これにより、旧来ビルとの性能格差が拡大し、市場の二極化が加速している。
テナント優位市場の現実
供給過剰により、市場の力学は完全にテナント側に傾いている。家主はテナント確保のため、数ヶ月のレントフリー期間や内装工事費補助といった大幅な譲歩を提供している。
表面的には、2025年第2四半期の平均提示賃料は1平方メートルあたり月額847バーツと微増している。しかし、これは新築ビルの統計参入による見かけ上の上昇であり、既存ビルの実質賃料は下落している。最高級ビル(グレードA)の平均賃料は1.2%下落して1,233バーツ、中級ビル(グレードB)は0.7%下落して866バーツとなった。
インセンティブを考慮した実質賃料は、提示賃料よりもさらに低い水準にある。この状況は、テナントにとってオフィス環境を改善する絶好の機会となっている。
ハイブリッドワークが変える働き方
パンデミックが加速させた働き方の変化も、供給過剰に拍車をかけている。多くの企業がハイブリッドワークを恒久制度として導入し、タイ労働省の調査では若年層の60%以上が柔軟な働き方を望んでいる。
企業は、全従業員の同時出社を前提としなくなったため、一人当たりのオフィス面積を削減する傾向にある。また、固定的なオフィスに加え、コワーキングスペースやフレキシブルオフィスを活用する動きも活発化している。
市場回復には5年を要する見通し
不動産コンサルタントCushman & Wakefieldの専門家は、需給バランス回復に少なくとも5年を要すると予測している。空室率が健全な15-20%水準に落ち着くのは2030年頃になる可能性が高い。
一部デベロッパーは、新規プロジェクトの建設延期や凍結を決定している。One Bangkokの「Signature Tower」やThe Parqの第2フェーズといった大型プロジェクトが、既存スペースの入居進捗を見極めるため建設を延期した。
企業戦略の見直し機会
BKK IT Newsとしては、現在の市場環境を企業の戦略的転換機会と捉えるべきだと考える。テナント優位の状況を活用し、従業員のエンゲージメント向上や生産性向上につながる高品質オフィスへの移転を検討する絶好の機会である。
企業は、コスト削減のみを目的とするのではなく、オフィス移転を「人材への投資」と位置づけ、長期的視点で最適なワークプレイスを選択することが重要だ。また、コアオフィス、フレキシブルオフィス、在宅勤務を戦略的に組み合わせたワークプレイス・ポートフォリオの構築により、変動リスクを低減しつつ、多様な働き方に対応できる。
現在の「危機」は、バンコクの都市機能向上とオフィス市場の質的改善を促す「創造的破壊」の契機となる可能性がある。競争力のない旧式ビルの淘汰や再生を通じて、より持続可能で魅力的な都市への進化が期待される。