タイでオンライン詐欺苦情が急増 ~8ヶ月2.7万件、ディープフェイクと国境詐欺が猛威~

タイでオンライン詐欺苦情が急増 ~8ヶ月2.7万件、ディープフェイクと国境詐欺が猛威~ IT
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タイでオンライン詐欺への苦情が深刻な水準に達している。タイ電子取引開発機構(ETDA)の発表によると、2025年最初の8ヶ月間でオンライン関連の苦情が27,332件に上り、前年同期比20.1%の急増を記録した。この急増は2年連続で減少していた傾向を逆転させ、詐欺組織の新たな攻勢を示している。

詐欺苦情の実態とその背景

ETDAの1212オンライン消費者支援・苦情センターに寄せられた27,332件の苦情は、2024年同期の22,758件から大幅な増加となった。特に注目すべきは、2023年の45,181件から2024年には35,358件へと2年連続で減少していた流れが一転したことだ。

苦情の内訳を見ると、オンラインでの商品販売に関する問題が10,306件(41.79%)で最多を占める。次いで違法ウェブサイト(ギャンブル、フィッシング等を含む)が9,090件(36.87%)と続く。この2つのカテゴリーで全苦情の約8割を占めており、タイ国民が直面するデジタル上の脅威が集中していることがわかる。

しかし、公式な苦情件数は氷山の一角に過ぎない。Global Anti-Scam Alliance(GASA)の調査によると、タイの成人人口の60%が過去12ヶ月間に詐欺の被害に遭っており、年間被害総額は推定1,153億バーツ(約31億米ドル)に達する。この数字は、公式報告との間に巨大な「報告ギャップ」が存在することを示している。

AI技術悪用による詐欺の高度化

2025年の苦情急増の一因として、AI技術の悪用が挙げられる。詐欺師は音声クローニング技術を使い、被害者の家族の声を複製して緊急事態を演出する手口を多用している。また、ディープフェイクビデオ通話により政府高官や企業幹部になりすまし、偽の投資を宣伝する事例も報告されている。

特に衝撃的だったのは、ペートンターン・シナワット首相自身が標的となった事件だ。別のASEAN首脳の声をAIで複製し、「寄付」を要請する詐欺の試みがあった。この事件は、AI詐欺が政治指導者クラスまで標的にする深刻さを物語っている。

従来の詐欺対策では「見知らぬ人からの怪しい申し出に注意する」ことが重視されてきた。しかし、AI詐欺は家族や上司といった既知の信頼できる人物になりすます。これにより、防御の課題は単なる警戒心から、信頼する相手との間でさえも検証を行う複雑なプロセスへと転換している。

国境を越えた犯罪組織の活動

ISEAS-Yusof Ishak Instituteの分析によると、国境を越えた犯罪組織がタイの詐欺問題で決定的な役割を果たしている。タイは詐欺の主要な標的であると同時に、犯罪組織にとって重要な中継・物流拠点という特異な立場にある。

ミャンマーとの長い国境、特にメーソートやメーサイといった町は、詐欺センターで強制的に働かせるための人身売買の被害者や、不正資金を洗浄するための通路となっている。これらの地域に位置する詐欺センターは、現地の法執行機関による摘発を恐れることなく、ほぼ完全に自由に活動している。

政府の対応と企業への影響

タイ政府は多角的な対策を講じている。2023年8月に施行されたデジタルプラットフォームサービス(DPS)法では、一定規模以上のプラットフォームにETDAへの届出を義務付け、高リスクプラットフォームには追加的な安全対策を求めている。

また、技術犯罪に関する非常事態令では、疑わしい銀行口座や取引を迅速に凍結することが可能になった。2025年の改正では、犯罪目的でのSIMカードや個人データの販売に対する新たな刑事罰が創設された。

しかし、企業にとっては新たなリスクも生まれている。詐欺師が盗んだ資金で正規のオンライン販売者から商品を購入するマネーロンダリング手口により、無実の販売者の銀行口座が凍結される事例が増加している。これは詐欺エコシステムが正規のデジタル経済に積極的に損害を与える構造になったことを示している。

今後の展望と企業の対応

ASEAN協力においては、「サイバー犯罪及びオンライン詐欺対策に関するASEAN宣言」(2025年)の採択により、地域全体での取り組み強化が図られている。情報共有、法執行能力の構築、共同作戦の強化が期待される。

BKK IT Newsとしては、この危機の長期化により、デジタル空間における社会規範が根本的に変容する可能性を懸念している。特にAI詐欺の台頭により、個人が親しい家族や同僚からのコミュニケーションでさえも検証を求められる社会の到来が予想される。

企業としては、従業員教育の強化、セキュリティ対策の多層化、そして詐欺被害に遭った顧客への支援体制整備が重要な選択肢となる。また、取引先の信用調査や送金手続きの複数チェック体制など、従来よりも慎重な業務プロセスの導入も検討に値する。

タイのデジタル経済発展の裏で進行するこの詐欺危機は、技術の進歩と社会的防御の不均衡を浮き彫りにしている。企業は新たなリスク環境に適応しつつ、デジタル社会の信頼性回復に向けた取り組みに参画することが求められている。

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