タイ社会に衝撃、45歳早期退職制度の登場 ~企業効率化と社会保障制度のジレンマが浮き彫りに~

タイ企業の45歳早期退職制度導入 ~社会保障制度と企業戦略の矛盾が鮮明化~ タイ政治・経済
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2025年9月、タイの大手銀行カシコン銀行(KBank)が45歳から対象とする早期退職制度を発表したことが、タイ社会に大きな波紋を広げている。これまでの早期退職制度は55歳以上が一般的だったが、45歳まで対象年齢を引き下げた「国内初」の取り組みとして注目を集めている。この制度導入の背景には、AI技術の急速な普及と経済の不確実性拡大があり、企業の効率化追求と国家レベルでの社会保障制度維持という相反する課題が浮き彫りになった。

過去の経緯と制度の背景

タイの銀行業界では過去5年間で労働力が既に15%以上減少していた。バーチャルバンキングの台頭と世代間のデジタル技術適応格差により、人的資源の必要性が段階的に低下してきた経緯がある。KBankの常務取締役は「AIによる破壊は銀行の予想を上回る速さで到来し、昨年から今年にかけて指数関数的に増大した」と説明している。

また、2025年の経済後退と世界的な貿易摩擦がこの動きを加速させた。米国の関税政策がタイの輸出収益に影響を与え、企業は積極的なコスト削減策を迫られる状況となった。国家経済社会開発評議会(NESDC)も、経済の不確実性が企業再編の主要な推進力であることを認めている。

現在の制度内容と企業戦略

KBankの早期退職制度は2025年8月15日から10月7日まで申請を受け付ける1回限りの自主的な制度として設計されている。対象は45歳から59歳の従業員で、年齢層により異なる追加手当が用意されている。45~49歳は8ヶ月分、50~54歳は10ヶ月分、55~59歳は12ヶ月分の給与に相当する追加手当が通常の退職金に上乗せされる。

この段階的な構造は、銀行の戦略的な計算を示している。45~49歳の層にも門戸を開きつつ、標準的な退職年齢である60歳に近い年長の従業員にとってより魅力的な提案となるように設計されている。背景には、終身雇用から柔軟な労働力への構造的転換があり、企業が年長で高給のスタッフをより低賃金の新規採用者に置き換える戦略の一環でもある。

この動きは民間企業だけに留まらない。政府の国防省も将校団を縮小するために独自の複数年にわたる早期退職プログラム(2025~2027年度)を実施しており、労働力再編が官民両セクターで用いられるツールとなっていることを示している。

個人が直面する課題と財務リスク

45歳で早期退職を選択した個人は、社会保障給付が55歳で開始されるまでの10年間、一時金をやりくりしなければならない重大な課題に直面する。タイの社会保障制度は55歳または60歳の退職年齢を前提に設計されており、45歳での退職は制度設計上想定されていない。

財務面では退職金と特別支援金、プロビデントファンド、将来の社会保障給付を慎重に管理する必要がある。最初の30万バーツは非課税だが、残りは課税対象となり税務計画が必要だ。プロビデントファンドは一時金として引き出すと大きな税負担が生じるため、退職ミューチュアルファンド(RMF)への移管が推奨されている。

しかし、勤続25年の47歳の場合、推定月額年金はわずか4,000~5,000バーツと生活費には不十分な水準となる。このため、個人は新たな低予算の策定、緊急資金の確保、高金利の負債の返済といった包括的な財務計画が必要となる。

社会保障制度への長期的影響

この早期退職傾向は、タイの社会保障基金(SSF)に深刻な負担をかける可能性が高い。タイは「完全な高齢社会」に向かい、2040年までには人口の4分の1が65歳以上になると予測されている。生産年齢人口は2020年から2040年の間に11%減少する見込みで、拠出者が減少し受給者が増加する構造となる。

複数の分析では、改革なしではSSFの準備金が2039年から2054年の間に枯渇すると予測されている。特に一時金の支払いを選択する早期退職の決定は、このタイムラインを加速させる要因として警戒されている。

興味深いことに、企業の早期退職トレンドとは正反対に、政策議論では退職年齢を65歳、さらには70歳に延長することを提唱する動きが存在する。これにより、経済の一方では45歳の人々を排除しようとし、もう一方では65歳の人々を働き続けさせる方法を模索するという矛盾した状況が生まれている。

BKK IT Newsとしての今後の展望

この45歳早期退職制度は単なる一企業の人事政策を超えた、タイ社会全体の構造的変化を示している。企業のマクロ経済的な最適化が国家レベルでの負債を生み出すリスクが顕在化しており、企業利益と国益の乖離が深刻化している。

短期的には他の産業での類似制度導入が予想される。製造業や金融業を中心に、デジタル変革を進める企業が同様の早期退職制度を検討する可能性が高い。これは労働市場の二極化を加速し、経験豊富な中堅層の空洞化を招く恐れがある。

中長期的には、生涯学習とリスキリングシステムの抜本的な見直しが必要となる。現在の教育・訓練システムは、キャリアの開始時点で人々を準備させることにも、キャリアの途中で彼らをアップデートすることにも失敗している。この慢性的な問題が急性化し、労働力の「空洞化」を生み出している。

企業への提言

タイに進出する企業にとって、この動きは複数の戦略的検討事項を提起している。人材マネジメントの観点では、リストラからリスキリングへの転換を検討する選択肢がある。退職パッケージだけに焦点を当てるのではなく、AIや自動化によって創出される新しい役割のために、キャリア中盤の従業員のリスキリングに投資することが考えられる。

組織運営面では、年配の労働者の組織的知識を維持するため、柔軟な勤務形態(パートタイム、コンサルティング)を開発し、潜在的な退職者を貴重な資産に変える方法もある。継続的な学習を仕事の核とする社内研修プログラムの構築により、技術的変化の衝撃を緩和することも重要な選択肢となる。

労働力計画においては、この傾向が他の産業に拡大することを前提とした中長期的な人材戦略の見直しが必要だ。経験豊富な労働者の早期退職と新卒者のスキルミスマッチという両方の課題に対処するため、社内教育体制の強化と世代間知識継承システムの構築が求められる。

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